ということで、F1開幕。
「再給油禁止」となり、これが早速あちこちで物議を醸していたりします。とりあえず、ラップチャートを並べてみると、給油が禁止になったことで、レースが単調になったということは一目瞭然だったりします。
▼ 2009年バーレーンGPのラップチャート
▼ 2010年バーレーンGPのラップチャート
たとえは悪いですが、今年のバーレーンGPの心電図は、心停止に近い状態を示しています。
「給油」を目の敵にされてる方は見落としてる(もしくは知らない?)ことが多いのですが、そもそもレース中の再給油があろうがなかろうが、レースの最後のスティントは同じ燃料量、同じ程度に消耗したタイヤでの争いになるので、順位を上げるにはコース上で前車を追い抜かなければなりません。
多くの方の記憶に残っているだろう例を挙げましょう。たとえば2005年、2006年のサンマリノGPです。2年続けてレース終盤、アロンソ対シューマッハの熱い攻防が見られました。2005年はアロンソが、2006年はシューマッハがバトルを制するわけですが、どちらも前にいたマシンの逃げ切り勝ちでした。
給油を禁止になった今でも、この傾向は変わっていません。そうです、昨年から空力に関する規制が大幅に強化されましたが「追い越しが困難」という状況は変わっていないのです。
結局、給油があっても、コース上で決着を付けなければならない場面が無かったわけではありません。また、べつに給油がなくなたからといって、コース上で決着を付けなければならない場面が増えるわけではないのです。
私、この開幕戦を見ながら、あることに気が付きました。「ライブタイミングを見る必要ないやん!」。各チーム・各ドライバーの戦略を推定して「これなら○秒前で戻れるぞ!」とか「あれは○周分だからここでオーバーテイクしなきゃ!」と頭を使いながら見なくても付いていけちゃうんですよ。
悪く言えば「単調」になったわけですが、良く言えば「簡単」になったとも言えます。もっとも、数字で可視可しにくいレースになったわけですから、計算が面倒だというタイプの人にとって「易しくなったように錯覚できる状態」になったと言うべきでしょうか。実際は、レースの動きを覗けるウインドウを塞いでいるだけなので、ちっとも易しくなってないんですけどね。
レース全体の単調さ以外にも、気になったことはあります。それはスピード感。レース序盤、重いマシンをどう走らせるかというのもドライバーの力量を問われる見所ではあります。しかし、耐久レースではなくスプリントレースです。全力で走り抜ける爽快なスピード感が損なわれてしまったのも事実です。
もちろん、レースを楽しむことはできました。ただ、物は言いようかもしれませんが、序盤でライブタイミングを見る必要がないことに気づいてしまって、中盤以降は頭を使う要素がなくなった分、くつろいでレースを見てしまいました。これだけ肩の力を抜いてF1を見たのは、はじめてかもしれません。何のために給油を禁止したのかと理解に苦しみつつ、レースが非常に「単調」になってしまったと強く感じているうちに着火ーフラッグが振られてしまった、そんな開幕戦でした。
人間と技術、スポーツとショー、スペクタクルとエンターテインメント…。私は、F1の魅力は「融合」だと思っています。もうかれこれ約30年もF1を見ているんですが、「あの頃はよかった」という思いは、いつだって持っています。
一方で、進化することを楽しんできました。テクノロジーの進化は、いつの時代もF1最大の見所だったはずです。古いスタイルには古いスタイルの、新しいスタイルには新しいスタイルの、それぞれの利点があると思います。今回は「給油」を巡って考えさせられたわけですが、単に古いものを復活させるという方向ではなく、この時代に合った新しい価値観としての「給油禁止」であれば、もう少し違うやり方ができたのではないかと思えてなりません。
色んな意味で曲がり角に立つF1グランプリ。果たしてこの方向で進んでいってよいのでしょうか? 進歩や進化の概念を捨てて懐古の殻に閉じこもっってしまうと「F1なんてただの環境破壊だ」と後ろ指をさされかねないのではないでしょうか?
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