藤井寺球場閉鎖の日
ふと夕刊を読んでいたら、藤井寺球場が今日で閉鎖だという記事があった。ネット版の方にもあるかなぁと探してたら、あった。
さよなら藤井寺球場 河内弁のヤジ、ガラガラの客席…「思い出」77年
大阪からまた一つ、野球場が消える。プロ野球、大阪近鉄バファローズの本拠地として親しまれた藤井寺球場が、近鉄とオリックスの合併のため、31日で閉鎖される。日生、大阪、西宮、藤井寺…。昭和の時代、関西でパ・リーグの灯を支えた球場は、これですべて姿を消すことになった。狭いグラウンド、古びたスコアボード、ガラガラの客席、鳴り物がない中で届くやじ。チームカラーに似合った愛すべき球場だった。プロ野球のキャンプイン前日、特別なセレモニーもなく、77年の歴史を静かに閉じる。……
藤井寺球場は私の家から一番近い場所にある野球場だった。「野球行くで~」といえば、それは藤井寺へ行くという意味だった。
必死でチャリンコこいで行き、“Buffaloes Stadium”と書かれたゲートをくぐる。赤と青の装飾が施された外観は、ここがバファローズのホームスタジアムであることを誇らしげに物語っているようだった。
年に何日か、入場券を求める行列が球場の周囲をグルりと取り巻く日もあったが、たいていの日はそんなことにならない。列にもならない窓口に、背伸びしてお金を置く。この球場には500円札が似合う。
中に入る。小さい野球場だけど、通路をくぐり抜けてグラウンドを見渡したときに得られる感動はどこも同じ。この開放感こそ、野球場でしか得られないものだ。
指定席だろうが自由席だろうがガラガラなので、好きなところに座れる。私のお気に入りは一塁側ベンチの少し外野寄り最前列だった。ウォーミングアップに出てきた選手がキャッチボールを始めると、ボールが風を切る音が聞こえる。「やっぱ野球選手ってすごいな」。「いつか自分もあんな速い球が投げられるといいな」。ここに座るたびに野球が好きになる自分がいた。
外野へ行くとスタンドの最前列をくりぬくように造られたブルペンがある。口の悪い近鉄ファンからのヤジが容赦なく降り注ぐ。近鉄投手陣は、このヤジによって精神力を鍛えられるのだ。中学生の時だったか、そこから紐を垂らして、「高柳さ~ん、サイン下さ~い」ってやってると、なぜか山崎慎太郎投手がサインしてくれた。高柳さんは忙しかったようだ。でも、慎太郎投手は私の名前入りでサインをしてくれた。そしてなぜか隣にいた吉井投手も色紙の隅っこにサインしてくれた。これは家宝だ。その日から山崎・吉井両投手にはヤジを控えるようにした。
試合が始まると、この球場は鳴り物を使って応援することが出来ない。内野席にも応援団の人がいて、コールや拍子を笛でリードしてくれる。西武の選手に向かって面白いヤジを飛ばすと、ある団員のオッチャンがチェンジの合間にイカ焼きを買ってきてくれた。
とにかくグラウンドとスタンドが近い球場。ヤジが届くのはいいとして、そのかわりケンカも多い。金網越しに、オッサンと選手が言い合いしてる。それもまた幼心に「プロ野球選手も人間なんだあ」と実感できることになる。外野はもっと壮絶で、南海や阪急のファンと、近鉄のファンが、ささいな沿線文化の違いを巡ってケンカしていた。テレビじゃ決して見れないものが、ここにある。
5回が終わると、OSKのオネーチャンが出てきて踊りをはじめる。そこまで音楽とは無縁のヤジと怒号に支配されていた空間に、少し和んだ風が吹く。ガラの悪いオッサンたちも、美女のダンスがはじまると急に行儀よくなる。
暇つぶしに通路へ降りる。いくつか売店があるが、その屋台の前にゴキブリがいることもあった。ネズミを見たことも何度もあった。壁の亀裂から雨漏りしていることもしょっちゅうだった。でも、それを理由にこの野球場が嫌いになったことは一度もなかった。それも含めて、丸ごと藤井寺球場なのだ。
試合が終わる。腹が減ったと、藤井寺駅の近辺の店に入る。といっても藤井寺駅の近辺に洒落た店などないわけで、オヤジが好んで入るのはいわゆる「飲み屋」。1時間もいると、試合を終えた選手なんかも店にやってくる。ワイワイガヤガヤ。
ゲートをくぐった瞬間からはじまる、旧き良き昭和テイスト。藤井寺の思い出は、あそこにいた人たちの心の中で語り継がれる伝説となってしまった。もうあの時代には帰れない。
藤井寺球場は、何の取り柄もないけど、日本一“おもろい”野球場だった。藤井寺より派手で豪華で住み心地のよい球場は全国に山ほどあって、俺も色んな球場へ出かけたけど、藤井寺よりおもろい野球場には1つも出会えなかった。
文頭の記事の中で吉井が言うてる「大阪ドームは最後まで借りもん、という感じが抜けへんかった。ボロくさい、汚い球場やったけど、藤井寺はわが家という気がした。」と。藤井寺球場は、ばっちぃ球場やった。俺も同じように思う。けど、ここはホームグラウンドやった。ここで笑った。ここで泣いた。球場のそこかしこに色んな思い出が詰まってる。今でも目を閉じると色んな光景がフラッシュバックする。
ありがとう藤井寺球場。さようなら藤井寺球場。世界一の野球場やったで。














コメント
はじめまして。
私の駄文にTB、していただいて、ありがとうございます。
私が野球を見るきっかけになったのは近鉄の大石大二郎選手が好きになってからですね。
近鉄は思い出のある球団です。
私は大阪に住んでいないので藤井寺球場のことはよく知らないので申し訳ないのですが、野球を見るきっかけになったチームの本拠地だっただけにさみしいですね。
投稿者: sweet orange
| 2005年2月 1日 09:32
こんちわ。
「大ちゃん」こと大石と、「小ちゃん」こと大島。あの頃は、まだ人工芝の張られていない土のグラウンドでしたね。
いつも1人だけユニフォームを泥だらけにしてる大ちゃんは、私も大好きでした。西武戦で辻と大石の名手競演を見るのが密かな楽しみだったのを思い出します。
投稿者: なにわっち | 2005年2月 1日 14:12
なにわっちさんやその他の古参の方に比べれば
数えるほどしか行った事の無い球場ですが、
球場の大型化が著しい昨今においてはこの球場は
選手との距離が手の届くすばらしい場所ですね。
ファンサービス充実や、選手とファンの距離を縮めようとか
いろいろと騒がれてますが、結局は昔当たり前のようにあった
ファンが選手と同じ目線で野球観戦できる球場が
上記で騒がれてるようなことを解決してくれるのでは
と思ってます。選手もファンにサインなど気軽にできますから。
投稿者: オマモリ | 2005年2月 2日 13:53
昭和の野球場は、どこもこういう雰囲気だったんですよね…。関西という目でみましても、難波、森ノ宮、西宮と既に3つの「昭和の野球場」が消えてしまいました。この3つの野球場の共通点は、ロッチさんの仰るとおり、グラウンドとの近さにあったと思います。
甲子園も、今では大騒ぎしたいバカの溜まり場に墜ちてしまいましたが、一昔前まではいい球場でした。試合前、花形選手がそこらの売店で買い物してたりという光景が当たり前でした。スタンドとグラウンドの距離とはまた違う、ファンと球団との生活文化圏的な近さがあったように思います。
昔が全てとは言いませんけど、プロ野球は大切なものを失ってしまったと言わざるを得ません。なぜこういう時代になっちゃったんでしょうか。そして、なぜそれに疑問を持つ人が表に出てこなくなったのでしょうか。
何も言わずに野球場から消えていったファンがいます。「野球離れ」をテレビの視聴率で計っている限り、庶民の生活と野球場はどんどん離れていくような気がしてなりません。
投稿者: なにわっち | 2005年2月 3日 02:56
TBありがとうございました。
実は、何度かこっそり掲示板をのぞかせて頂いておりました。
挨拶遅くなってしまって申し訳ありません。
「昔はよかった」じゃないですけど、あの頃の球場は野球を見る目を養うには最高の環境でした。
藤井寺の内野、ポールぎりぎりの所に陣取ってブルペン練習をよく見てましたが、
あれだけ近くからピッチングが見れたのは藤井寺だけでしょう。
練習してる選手から継投を予想したりも出来ましたし。
こういう事実を伝え続けていかなくてはと思う反面、自分のような「古い」人間はもう必要とされていないのかな、という気にもなります。
投稿者: 長官
| 2005年2月 3日 09:48
TBありがとうございました。
あなたのブログやコメントで昔の藤井寺の思い出が次々と甦ります。
藤井寺を満員にし、ファウルボールももらえるようにしたらミニ大リーグ球場のような雰囲気になるのかなというような気がしました。最近は選手と観客席の距離が遠くなって親近感が薄れ、球場から離れていくのでしょうね。
それにしても時代が違うとはいえ、藤井寺で野茂と清原の対決が見えたんですね。見たかったな~。
投稿者: hiro
| 2005年2月 3日 15:44
>長官さん
その節は、各方面でのご活動、本当にお疲れ様でした。住んでる板は違いましたが、同じバファローズ応援実況をする者ということで、旧ブログのころから時々拝見しておりました。なんか色々と雑音もあったみたいですが、軽く流しちゃいましょう。
ほんま、ありとあらゆる意味で「野球が勉強できる」野球場でしたね。ベンチの横で見てると、いっつも6回あたりから真喜志が出てきてキャッチボールするんです。当時、私も野球小僧で、内野やってたんですが、「はぁ、プロのショートはスゲーな、おい」って感じで。ブルペンもそうですよね。プロのピッチャーってこんなに速えぇ球を放るんかいって。
大阪ドームへ移ってからは、そういう感動がちょっと減ったのは事実だと思います。まぁ、それが球団の経営にどう影響を与えることなのかは知りませんが、野球を見るなら藤井寺の方が面白かった。藤井寺の野球を観れたのは私たちの財産だと思います。時代遅れの野球ファンでええやん!
>hiroさん
ども、こんばんわ。
普段は日本のどこにでもあるような素朴な近郊都市が、野球のある日だけ異様に盛り上がるんです。民俗的にいうところ、藤井寺のプロ野球は一種の「祭」だったんです。
スタープレーヤー同士の対戦は、カードさえ組み合わせれば実現できるわけですが、その土地の柄とか気質とかは、演出では作れないものがあります。
野球を通じて、野球とは違う何かを感じられる場所。それが藤井寺球場でした。
投稿者: なにわっち | 2005年2月 3日 21:07
やっぱり藤井寺球場が無くなるのはさみしい。親父とよく藤井寺球場に行き、俺は一生懸命近鉄を応援していた。練習中に鈴木貴久選手、池上投手、清川投手など多くの選手にサインをもらうことができ、選手とファンがとても近い球場だった。試合中にブルペンに行き「サインください」とよく言うていた。試合終了後に再度ブルペンに行くと佐野選手などのサインをもらえたし、ベンチに帰る清川選手が俺に直接ボールをくれた。それが最高にうれしかったし今でもそのボールは大切に飾っている。俺にとっては最高の藤井寺だった!ありがとう藤井寺球場!感謝!!
投稿者: 気合! | 2005年2月 6日 14:18
ほんと、野球をみた思い出よりも、野球以外の出来事で印象に残る。そんな球場でしたね…。
池上、なつかしいなぁ。ブルペン覗いたら、いっつでも池上が投げていたような気がするなぁ。
投稿者: なにわっち | 2005年2月 7日 01:43