逆立ちしても解せない「セリーグの常識」
阪神球団は、阪神主催の交流戦チケットを明日から売り出すそうだ。
どうしても解せないのが、3ヶ月も先の試合のチケットを売るという球団の魂胆と、それを買い求めようとする人がいること。誰が先発するかも分からない、そんな試合のチケットを買って何が楽しいんだろうか。いや、マジメにそう思う。
たとえば、「スマップが出るかV6が出るか分かりませんが、とりあえずジャニーズです」というチケットがあったとして、誰が買うのか? ジャニーズなら何でもいいという一部のイタタなマニアしか買わん、こんなもの。
野球だっていっしょ。3ヶ月も先の試合の先発ピッチャーなんてもんは、細木数子でも予言できっこあるまい。交流戦は原則として同一カード3連戦で組まれている。どうせお金を出して観に行くなら、お目当ての選手が出場する試合を見たい。相手のピッチャー次第で出番の有る無しが決まる野手だっている。ひょっとしたらお目当ての選手は4月にケガして2軍落ちしてる可能性だってある。好投手が投げる日は内野席で堪能したいし、乱打戦になりそうな日は外野でホームラン乞いがしたい。
でも、セリーグじゃこういう前売りが当たり前らしい。人気があるから、アホだろうとなんだろうと売り尽くせばよいと考える球団。そして、とりあえず「阪神が見れればそれでいい」と考えるアホなファン。セリーグの常識とは、「需要も供給もある殿様商売」の横行である。
純粋に野球が好きなお客さんを対象とした商売ではない。学校が終わってから、あるいは仕事の帰りに、「今日は野球でも観に行こか」。セリーグでは、このような楽しみ方をすることは認められていない。しようと思ってもできない。ないのが当たり前。
大阪ドームのチケット価格表にも、今年は「巨人戦・阪神戦は特別料金」という一行が加わった。大名商売は人気球団だけでなく、人気球団を招く側にも伝染した。
やれサインだ、握手だ、写真撮影だと、要らんサービスばかりやってる反面、最も大切な「贔屓選手が野球してるとこ見せてくれ」という願望には応えない。プロ野球が庶民の生活から遠ざかっていった一因は、「セリーグの常識」にある。
セリーグは、野球の持つ「考える」「予想する」「いつでも行ける」という楽しさを売り出さない。だから俺は、それがあるパリーグのファンになった。
昔に比べて、野球場の客層に占めるキチガイな連中の率は飛躍的に向上した。野球を観るために来ているのか、スタンドで騒ぐために来ているのか分からない連中が増えた。甲子園はその最たる例である。2004年の日本シリーズ、レフト側に座った私はそれを身を持って痛感した。
野球の楽しさを知る野球ファンを大切にしない。だから野球離れに歯止めがかからない。
私は「人気だけで全てが決まるのはおかしい」と言い続けてきた。そのたびに「人気のないチームのファンの僻み」だと揚げ足を取られてきた。だが、この一連のチケット販売法1つ取っても、人気球団がプロ野球を壊すという構造は、いともたやすく明らかなのだ。
誰が投げるか、誰が打つか、全く分からない3ヶ月も先の野球の試合、しかも対戦相手が人気球団というだけで数百円の便乗値上げまでされた、そんなものに何千円も払うなら、もっと有効に何千円を使う対象が山ほどあるではないか。
プロ野球は、こうやって野球ファンを失い続けた。悪しき慣習は今年もまだ続くらしい。衆目に気をかけるあまり、根を張らず、葉にばかり水をやり、そんな木はやがてやせ細り、枯れ死ぬ。












