川尻哲郎投手、引退。第二の人生は…
引退を決意することになった川尻哲郎投手と、同じく楽天を戦力外になった小池秀郎投手(一応、去就未定)ですが、2人が亜細亜大学でチームメイトだったという話は、近鉄ファンの人でも知らない人の方が多いかもしれません。ちなみにエースは小池投手、2番手は元ヤクルトの高津臣吾投手、川尻投手は3番手の存在でした。3人とも、変幻自在というかなんというか、個性的な投球フォームでファンを魅了する投手になるわけですが、今にして思えば、学生時代に同じ釜の飯を食った共通の素地があったんだなと納得です。
川尻引退 地震予知システムメーカーで再出発
元ノーヒッターが震災被害ゼロを目指す。楽天を退団した川尻哲郎(37)が26日までに現役引退を決意。地震予知システムメーカーの顧問として再出発することを明かした。
阪神時代の98年5月26日の中日戦でプロ野球史上66人目となるノーヒットノーランを達成した個性派右腕。昨年9月に楽天から戦力外通告を受け、韓国球界からの誘いに揺れながらも、11年間のプロ野球生活に終止符を打つ覚悟を決めた。その理由は「人の命を守りたい」というライフワークを見つけたためだ。
年内稼働予定の気象庁緊急地震速報を活用するIT自動防災システム・機器開発メーカー「3Softジャパン」(本社・東京)の井植浩之社長とは、阪神時代から交友関係があり、地震予知システムの普及に協力を要請された。「顧問というのは名前だけで、普及を目指して営業してまわります」と川尻は意気込む。
日産自動車からドラフト4位で阪神に入団したルーキーイヤーの95年に阪神大震災を体験。「あのとき亡くなった人は2次災害がほとんどだった。せめて15秒でも前に警報があれば」と嘆く。妻子と引っ越した仙台でも昨年、震災にあった。小学1年の長男の希望で仙台を拠点に、全国をまわるという。プロ野球解説者、評論家もこなし、営業活動と並行して野球教室を企画するなど、野球への恩返しも忘れない。元ノーヒッターの夢は大きい。
◆IT自動防災システム 地震には波及速度が速いP波と、速度は遅いが大きな揺れをともなうS波があり、P波を察知し、S波が到達する前に警報するシステム。3SoftジャパンはREIC(リアルタイム地震情報利用協議会)とJEITA(電子情報技術産業協会)に加盟し、パナホームなどとともに、家庭内実証試験に参加している。
個人的なことですが、昨年、仕事の関係で、大阪南部某市にて、この地震予知警報システムを体験したことがあります。予知といっても、警報が鳴るのは地震の約20秒前です。公演がメインだったのですが、「その20秒間に貴方はどう行動しますか」と抜き打ち避難訓練などもあり、防災への意識を大きく高められました。システム自体に非常に興味をそそられたこともあり、また機会があったら詳しくお話するかもしれません。
さて、近鉄バファローズ・川尻哲郎。在籍したのはたった1年。他の投手のように武勇伝を引っ張り出そうとしても、これといったネタが思いつきません。それでも決して存在感が薄かったわけではなく、“近鉄ファミリー”として1年間、それも球団消滅の危機と闘った1年間、色んな思い出を作ることが出来ました。
謝らなければならないことがあります。阪神から近鉄にトレードされると知った深夜、私は川尻投手を全く信用していませんでした。交換要員としてチームを去る前川投手が好きだったこともありますし、見聞きするだけでムカつくほど阪神タイガースが嫌いだったこともありますし、「脱税指南」「メジャー願望」云々の報道で川尻投手に対して悪い思い込みがあったからかもしれません。阪神時代にノーヒットノーランを達成したそうですが、ニュースを見た記憶すらありませんので、知りません。
開幕して、ローテーションに入って、白星を上げて、防御率1位を争うようになって、それでも信用していませんでした。5月だったか、6月だったか、どこで誰から聞いたのか正確な記憶はないのですが、あるエピソードを聞かされるまでは…。
それは川尻投手が左手にはめているグラブのことでした。川尻投手が、赤茶色(業界では赤色)のグラブをはめていることは、登板機会を何度も生で見ていたのでうっすらと知っていたのですが、私はそれを「阪神時代からその色なんやろ」程度にしか思っていませんでした。ところが真相は違ったのです。阪神時代の川尻投手は青系や黒系のグラブを使っていたというのです。赤色のグラブには「一日も早く近鉄のチームカラーに馴染みたい」という川尻投手の決意が込められていたのでした。
2003年、阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝に沸いた日。二軍にいる川尻投手は胴上げの輪に加わることなく、ビールかけのお誘いもなく、その模様をテレビで見ていたそうです。それから数ヶ月、本人の志願もあり、近鉄へトレードされることになります。川尻投手の決意は、阪神から非情な仕打ちを受け叩き出されて近鉄にやってきた他の多くの選手がそうであったように、この屈辱が原点だったのかもしれません。
2004年、猛暑の真夏。先頭に立って署名を集める川尻投手がいました。シーズンの真っ最中、デーゲームの疲れもなんのその、地元・浜寺の夏祭りにもやってきてくれました。地域との会合にも積極的に出席してくれました。近鉄バファローズの選手になって半年なのに、川尻投手は誰よりもチームを愛していました。もちろん、本業の野球の方でも、下降の一途だった数年間が嘘だったかのように大活躍。よっぽど近鉄の水が合う選手だったのでしょう。
本音を言えば、今度という今度こそ、諦めがつくまで「MLB挑戦」してほしかったという気持ちがないわけではありません。ただ、ボロボロになるまで野球に殉じるのが川尻投手にとって幸せなことなのか、その価値観を決めるのは私ではないのも事実です。第二の人生も、決して順風満帆とはいかないかもしれませんが、並み居る強打者相手にスローボール(フォーシームジャイロ?とかいう怪しい変化球)を投げ込んだ大胆不敵さがあれば、きっと乗り越えていけるものと思います。
わずか1年間だったけど、「近鉄・川尻」から多くを学ばせてきただきました。あの夏のこと、いくら世間が風化させようと、私は絶対に忘れない。近鉄に来てくれて本当にありがとう。もっと早よ来てほしかったよ。
野球を続ける近鉄戦士。野球を辞める近鉄戦士。そして、まだ去就の決まっていない近鉄戦士もいます。「近鉄バファローズ」の歴史を紡いだ主人公でありながら、「近鉄バファローズ」の犠牲になってしまった彼らの人生に、幸多かれ…。













コメント
はじめまして。
TBありがとうございます。
川尻さんの引退は残念です。
移籍した年に、球団の合併という事態に直面して、せっかく新天地で頑張ってるのに・・・
という気持ちで見ていました。
阪神時代に、なんでここで使わないのかという気持ちもありましたから、移籍して勝利投手になったときは嬉しかったです。
でも、それ以上に、自分は近鉄というチームの一員なんだ!という気持ちで、積極的に動いている姿には、本当に好感が持てました。
正直、川尻さんとは1つ年下なんで、同年代としても新しい職場で頑張って欲しいと思っています。
投稿者: たこまる | 2006年1月30日 10:12
実際に「地震予知警報システム」、体験なさったんですね。また、近鉄に移ってからの話は、川尻さんの人柄そのものでしょう。貴重なお話ありがとうございます。
川尻さんにはまだ現役で投げていただきたかったのが正直なところですが、第2の人生で成功されることを祈らずにはいられませんね。
投稿者: IC-BOY | 2006年1月30日 16:13
>たこまるさん
バファローズの一員になるべく努力している川尻さんに気付かなかったのですから、私は人間失格だなと思います。ほんと、人を色眼鏡で見ちゃいけないなと、後悔と反省だけが残っています。
合併だの消滅だの暗い出来事ばかりの1年でしたが、それを通してチームの心が1つになったというのも、なんだか皮肉なものです…。
>IC-BOYさん
地震の約20秒前に、初期微動を感知すると、「間もなく地震が来ます」というメッセージが電子音のアラームとともに鳴り響きます。
システムを導入するだけでは何の意味もなく、要は20秒間にどう対処するかが大切なんだという講演でした。
設置するのはインターホンの子機程度のサイズで、これからは家庭の標準装備になるかもしれませんね。
投稿者: なにわっち
| 2006年1月31日 22:08
はじめまして川尻です。現役中は応援有難うございました。阪神から近鉄、楽天で選手生活を終える事になりましたが、悔いはありません。野球界に何らかの貢献、足跡を残せたかと思っています。これも野球を応援してくださる皆さんのお蔭です。地震速報の会社にお世話になることになりましたが今後は地震国日本で少しでも多く人の為に活動していこうと思います。これからも野球同様精一杯頑張ります。これからも宜しくお願い致します。
投稿者: 川尻哲郎 | 2006年3月16日 15:16