戌年のF1は…
さて、欧米に「戌年」という概念があるかどうかは分からぬ(というか無い)が、戌年はF1の「厄年」である。
1970年9月、イタリアGP・予選。チャンピオンシップをリードするヨッヘン・リントの駆るロータスが、モンツァサーキットの最終コーナー・パラボリカでコントロールを失い、ガードレールに衝突、大破した。リントは帰らぬ人となったが、残るレースでリントのポイントを逆転するドライバーは現れず、死後にワールドチャンピオンの栄冠を得た。
同年6月には、1950年にF1史上最年少優勝を記録し、1966年から自身の名を冠したF1チームも立ち上げていたブルース・マクラーレンが、CAN-Am(カンナム)のテスト中に事故死している。マクラーレンの遺志は、親友であるテディ・メイヤーが受け継ぎ、ロン・デニスが合流した80年代以降、F1のトップチームとして知られることになる。
1982年5月、ベルギーGP・予選。終了間際、フライングラップに入ったジル・ヴィルヌーブのフェラーリだったが、アタックを終えてスロー走行中のヨッヘン・マスにブラインドコーナー出口で遭遇。乗り上げるように追突し、マシンはランオフエリアにノーズから突き刺さって着地。マシンが板バネになり、シートベルトが切れたヴィルヌーヴの身体はさらに遠くコース外まで飛ばされた。死亡確認は病院で行われたが、ほぼ即死だったと思われる。
また同年6月、カナダGPのスタートにて、ポールポジションでエンジンストールしてしまったディディエ・ピローニのフェラーリに、後方グリッドから加速してきた新人のリカルド・パレッティが追突。マーシャルが失神状態のパレッティの救助に向かうが、衝撃で燃料系統を破損していたマシンはエンジンの熱により発火、手が付けられない状態となった。死因は頭部の打撲によるもので、亡骸に火傷の跡はなかったとも言われている。
1994年4月30日。サンマリノGP・予選。パレッティの事故から12年間、レースイベント中の死亡事故が起きなかったF1。ヴィルヌーヴを弔って名付けられた高速のヴィルヌーヴカーブで、悪魔は突然やってきた。ローランド・ラッツェンバーガーのシムテックは、フロントノーズが脱落し、フロントタイヤがウイングに乗り上げる形で操舵を失い、270キロ以上の高速で左側のコンクリート壁に激突した。惰性でトサコーナーまで転がってきたマシンは、衝撃でモノコックに穴が開いていた。ドクターが現場に急行したが、すでに心肺停止状態だったという。
その翌日、1994年5月1日。サンマリノGP・決勝。12年ぶりの死亡事故に揺れるF1で、悲劇は2日続けて繰り返された。6周目、3度のワールドチャンピオンであるアイルトン・セナのウィリアムズが、左高速のタンブレロコーナーで突如コントロールを失い、コースアウト。火花と砂煙を巻き上げながら、コンクリートウォールに吸い込まれていった。テレメーターには、コントロールを失ってからウォールに激突するまでのわずか1秒ほどの時間にセナが試みた神業的な回避行動が記録されている。その事故原因には諸説様々あるが、未だに直接原因は不明である。
1994年は、開幕前のシルバーストン・テストで、JJ・レートのベネトンがクラッシュ。後方からバリアに衝突し、脊椎損傷の重傷を負った。開幕戦のブラジルGPでは、怪我人こそ出なかったが、3台多重クラッシュの際、マーティン・ブランドルのヘルメットに他車のタイヤが直撃した。第2戦のパシフィックGPの前には、テスト中にジャン・アレジが負傷。第3戦、ラッツェンバーガーが亡くなる前日にも、ルーベンス・バリチェッロのマシンが宴席をジャンプ台にして空を飛んだままタイヤバリアに突っ込むという恐ろしい事故が起きている。サンマリノGP以降も、カール・ヴェンドリンガー、アンドレア・モンテルミニ、ペドロ・ラミーなどなど負傷者が続出した。個別の事故原因よりも、「安全神話」のもと「速くなりすぎたF1」と「人間の操縦力の限界」がクローズアップされた1年であった。
世の中には、犠牲者が出たときだけ喜々として押しかけくる連中や、日常の取り組みについて理解していないのに好き勝手な批判や非難をする連中がいて、そういう人間には何を言っても理解されないことも、過去に起きた事故の中で十分に解っているつもりであるが、ここで敢えて強調しておく。この業界に、危険を望んだ者など一人もいなかった。時に冒険と解釈できる行動を取る者がいたとしても、それには必ず裏付けがあり、つまり誰もが安全を願ってレースをしている。事実は1つ、願望だけで安全は実現しなかったということだけである。
セナの死後、安全についてより一層の取り組みが行われることになった。F1マシンの見た目はどんどんダサくなったが、安全性は格段に向上した。12年前のF1に、現在の安全基準が適用されていたら、ローランドもアイルトンも命だけは取り留められたかもしれない。現役のチャンピオンが、レース中に亡くなる。この悲劇を最後に、今日までの12年間、F1ではレースイベント中はもちろん、テストセッションでも(コースマーシャル2名が事故の破片等に当たり命を落としているが…)ドライバーの死亡事故は起きていない。これが必然かどうかはともかく、この12年間、その努力は報われてきた。しかし、この間も、危険な出来事はたくさんあった。一歩間違えば死んでいても不思議ではない出来事がたくさんあった。
横転し、裏返り、燃料タンクが破れ、タイヤが破裂し、エンジンが爆発し、、直線でブレーキが壊れ、横から高速で突っ込まれ、なすすべもなく宙に舞い上がり、こんなことは日常茶飯事である。レースである以上、100%の安全はあり得ない。もしも明日、誰かのマシンが空を飛び、死んでしまったとしても、それは不思議でも何でもない。
「戌年のF1」、12年周期で大きな事故が起きたのは決して偶然ではない。事故が起きると安全性の向上がクローズアップされるが、自動車レースは大前提として自動車の性能を発達させる競技であり、12年周期で起きる大事故は、安全性向上と車両性能向上のサイクルが逆転するまでにかかる時間が約12年間であったことを示しているのだ。
この12年間、F1マシンの性能は、これまでのどの12年間とも比べられないほど急速に進歩した。規制をかけてもかけても速くなる。コンピューター技術が発達し、「理論上速いマシン」や「理論上安全なマシン」を作ることが容易になったためである。しかし、どれだけ優秀なコンピュータでも、技術で担保できるのは過去の事故を解析することと、未来の事故を予測することだけである。
どんどん速くなるF1マシン。F1グランプリは最も速いマシンを決める競走であり、そのスピードへの欲求は決して間違った欲求ではない。自動車レースに於いて、危険とされる事故は、なにもスピードを出しているから起きるというものではない。車両性能が安全性向上への取り組みを追い越してしまったときに起きるのである。
進化し続けるF1。電子部品の塊になろうとも、車は人間が操縦しているという「緊張感」だけは忘れてならない。「2006・戌年のF1」が無事に終えられること、そして次の12年も痛ましい惨劇が起きないこと、願ってやまない。
F1では死亡事故が起きていないが、IRLでは起きてしまった。
かつてアレックス・ザナルディが両足を失ったときもそうだが、この手の事故は、マシンの剛性や衝撃吸収力を向上させたとて、物理的に対応できない。衝突を回避させる方法を考えるしかない。全開走行中のフィールドに、そうでないマシン(スロー走行中のマシン、加速中のマシン、リタイヤしたマシンやその残骸)が入ってきた場合の危険性は、どのカテゴリーにも共通する。たまたまマイアミのIRLで起きただけの事故である。
ドライバーに前方のコース状況を知らせる手段として、フラッグが用いられている。カテゴリーによっては、コクピットにフラッグと同色のランプが灯ることもある。しかし、コースマーシャルが状況を察知してから旗を振り(それからランプのセレクタを操作して)、これをドライバーが視認するまでにはタイムラグが生じる。たとえ数秒であっても、レーシングカーはその間に何十メートル、何百メートルも進む。
ならば、全てのマシンにGフォースと速度センサーを搭載し、どれか一台のマシンが通常ありえない数値を弾き出した場合には、他の全てのマシンに警告ランプを点灯させてはどうか。やろうと思えば簡単なこと。なんなら、ランプではなく、ヘルメットのバイザーに映し出すことだって可能なはず。電波を双方向テレメトリーに悪用できそうだとか、そういう「大人の事情」で導入が躊躇されているのかな…。


JRAサラブレッド最多出走記録を更新中だったハートランドヒリュ(牡10、栗東・河内洋厩舎)が、22日の調教中に急性心不全を発症し、死亡したことが明らかになった。












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