松浦政宏騎手が廃業 - 中堅騎手の受難はつづくのか…
先週の開催を最後に、松浦政宏騎手が廃業した。
※註 「廃業」というと何か後ろめたいものを想像しがちだが、この世界では、騎手を辞めたあとも競馬の世界に携わる場合は「引退」、競馬から完全に足を洗う場合は「廃業」という表現を用いるらしい。
先月末、引退する宮西騎手のお別れセレモニーで、彼に花束を手渡したのが松浦騎手だった。
相次いで騎手生活にピリオドを打った2人の騎手。2人は、小牧や岩田のように全国に名のとどろくトップジョッキーではなかった。しかし、決して“ヘタクソ”ではなかった。関係者にとっては安心して馬を任せられる、ファンにとっては安心して馬券が買える、そんな騎手だった。昨年、宮西騎手は白鷺賞、松浦騎手は楠賞と重賞競争にも勝っている。
松浦騎手のことをいえば、このところ騎手の職業病ともいえる腰の痛みと格闘する日々だったと聞く。今回の決断に、それが影響したのかどうかは分からない。ただ、馬に乗れないほどの痛みは無かったはずで、その証拠に最後の騎乗で積極果敢な先行策で馬を勝利に導いたのである。
シーズン真っ最中のこの時期に、脂の乗りきった中堅ジョッキーが辞めていく。おおよそ尋常のことではあるまい。
騎手が食えない。それも実力不足で食えないのではない。年間100勝する騎手でさえ、競走馬を乗りこなすという一種の命がけの危険な仕事の対価として得られるのは、同世代のサラリーマンのそれより少かったりするのだ。園田はまだマシな方だとも聞く。冬季にオフシーズンがある北国では、コンビニ店員や土木作業のアルバイトをしてやっと食いつないでいる騎手も少なくない。
会社が経営難なら賃金カットもやむを得ないと、人は言う。ところが地方競馬の場合、経営者や役員の報酬は殆どカットされることなく、ツケの大半が下に下に回っていく。経費削減イコール賞金削減、騎手や厩務員の生活が質に入れられる。競馬場が赤字なのは、必ずしも彼らのせいではないのにである。
騎手は馬乗りのプロだ。プロの評価は実力で決まるべきである。だが、騎手が自らの意志で実力に応じた職場を見つけることは難しい。騎手免許制度という壁も立ちはだかる。我が国の競馬の制度には、本当の意味で「プロの騎手」と呼べる存在などありえないのである。
厳しい修練過程を経て騎手になった。実力で信頼を勝ち取ってきた。まだまだやれる。これからじゃないか。そんな騎手たちが、競馬をあきらめ、新しい人生を探す。彼らには彼らの人生があるのだ。やりきれない思いがする。

- 通算成績
- 8769戦 786勝 (実働14年間)
- 重賞勝利
- 1993年 第36回フクパーク記念(ビールピエカー号)
1994年 第36回のじぎく賞(エビシロクイン号)
1994年 第31回広峰賞(キフネホマレ号)
1995年 第31回摂津盃(オリジナル号)
1998年 第41回フクパーク記念(ミスターサックス号)
2005年 第44回楠賞(アクティブワンダー号)
騎手受難の時代に入って久しい地方競馬。園田では永島太郎騎手会長が「もはや指をくわえている場合ではない」と号令を掛け、主催者に対してファンサービスの一層の充実をはたらきかけるなど、懸命の取り組みが続いている。
岩田騎手は中央へ移籍後も旧勝負服で騎乗できるようになった。GWには昼休みのウィナーズサークルでヤングジョッキーズステージの枠順抽選会を行った。大阪での場外発売も、まずまずの収益を上げている。増収のため必死になっている姿勢が随所に感じられるようになった。
しかし、まだまだ後手の印象は拭えない。インターネットでライブ中継を流し、ケータイで馬券が買えるといっても、それはインフラが整ったに過ぎない。現実問題として、競馬ファンの多数は「地方競馬、何それ?」な中央競馬ファンが占めている。能動的に中央競馬を好んでいる層に対して、地方競馬が窓口を開けて待っているだけでは、寄りつく客も寄りつかないのである。
永島騎手会長は「やれることなら何でもやる」と言う。騎手にこんなことを言わせているうちは、全くダメダメなのだ。騎手の仕事は、馬に乗ることである。馬を勝たせることが最大のファンサービスである。競馬主催者は、騎手が競馬に打ち込める環境を整えることが、ファンサービスにつながるという認識を持つべきである。












