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WSJS地方競馬代表騎手選定競走(2006)の実施概要が決まる

「WSJS」とは、毎年12月にJRA阪神競馬場で開催される「ワールドスーパージョッキーズシリーズ」の略で、中央競馬の東西リーディングジョッキーなど5名に、海外から招待される世界のトップジョッキー8名と、地方競馬の代表騎手1名を加えた14名が、4競走の着順ごとに与えられるポイントの合計を競う「騎手の祭典」です。

地方競馬代表騎手は1988年の第2回から毎回1名づつ招待されています。2004年までは、各主催者から推薦された騎手を地全協(NAR)が選定していました。ただ、騎手の実力を会議室で決定するというのは不可能に近い作業なので、選出回数は南関東8回、園田5回、笠松2回、佐賀1回、盛岡1回といった具合で、実際のところは主催者の力関係がそのまま反映されていました。

はっきり申し上げまして、地方競馬の歴戦のリーディングジョッキーたちは、誰が乗り込んでいってもJRAの連中と互角の戦いができます。せっかく地方競馬の「代表」として殴り込みをかけるのですから、地方競馬ファンのみんなが納得できる方法で決め、みんなが素直に応援できる騎手を選ぶべきです。「WSJS地方競馬代表騎手選定競走」はこうして誕生しました。もちろん、ファンの関心を喚起する競走の創設によって、競馬場の売り上げに貢献してもらえないかという淡い欲望があったのも確かです。

WSJS地方競馬代表騎手選定競走 in 園田競馬場 (2005-10-18)昨年、はじめての代表選定競走は、我らが園田競馬場で開催され、岩田康誠騎手がブッチギリの予選突破。自身初、兵庫県所属騎手としては田中道夫騎手(2回)、小牧太騎手(3回)に次ぐ3人目のWSJS出場となりました。

地方競馬史上最速のペースで勝ち鞍を量産してきた岩田騎手でしたが、所属厩舎の格差で小牧騎手の勝ち鞍を上回ることはなかなかできず、彼が園田代表として推薦されるようになったのは、小牧騎手がJRAに移籍したあとのことでした。創設された代表選定競走は「園田の岩田」がWSJSに出場できる最初で最後のチャンスでもありました。

岩田騎手は本番でも大活躍し、海外・中央の歴戦の名騎手を退け、見事な総合優勝。地方競馬招待騎手としては石崎隆之(船橋)、川原正一(笠松)、鮫島克也(佐賀)に次ぐ4人目、兵庫県所属騎手としては1989年に田中道夫騎手が記録した2位を上回る、記録的な総合優勝を果たしました。既にJRA移籍が「ほぼ内定」と伝えられていた岩田騎手。地方所属騎手として、最後の最後で成し遂げた大偉業でした。

ただ、実際にやってみると、色々と問題が生じたのも確かです。まず、騎乗馬選定の問題です。昨年の代表選定競走は合計2レースの合計ポイントで争ったのですが、地元から出場した岩田康誠騎手が2着、1着で1位、田中学騎手が1着、3着で2位となったことで、他地区のファンから少なからず疑問の声が挙がりました。騎手の名誉のために書いておきますが、騎手からそういった声は公には聞こえていません。あくまでファンサイドから出た疑義です。

一応、各騎手の騎乗馬は抽選で決めたことになっています。無論、兵庫県競馬組合が不正を行ったとは信じがたく、またその証拠もないため、適当なことは言えません。園田競馬場に対する各騎手の慣れ・不慣れの差も少なからずあったと思います。馬券を買う立場の我々でも、若干は考慮に入っているはずの事柄です。地元騎手は、出走(騎乗)予定の各馬を事前に追い切ることができたというメリットは否定しません。しかし、他地区から参戦する騎手は、おのおの地元の日程の合間を縫って、1日休んで園田まで来ています。事前の追い切りに騎乗してもらうことは現実的には不可能です。

抽選会を公開して行ったり、騎乗馬の質の差が出にくい下級条件馬を使うようにするなど、配慮すべき点がいくつかあることはたしかですが、回数を重ねてみないと答えの出ないことではないかと思います。

次に、園田競馬場のフルゲートは12頭ということです。つまり、代表選定競走に参加できるのは最大で12名までということです。地方競馬主催者は、おおまかにブロック分けしただけでも北海道、東北、南関東、北陸、東海、近畿、中国、四国、九州と9つにのぼり、南関東には大井、船橋、川崎、浦和、東海には名古屋、笠松、九州には佐賀、荒尾といった具合で、園田競馬場には全国のリーディングジョッキーをまんべんなく呼集できるキャパシティがないのです。幸いにも出場を辞退した騎手(主催者)があったため、招待10名と兵庫2名の12名で施行することができましたが、今後に向けて課題が残されたのは事実でした。

仮に園田以外の競馬場でやるにしても、可能なのは走路の広い盛岡か大井くらいです。この企画もJBCのように、東日本ブロックに食い上げられる運命なのでしょうか。と、そんなことを憂いていたところ、今年の代表選定競走の概要が今日発表されました。

選定競走が昨年の1場2競走から、2場4競走になりました。まず盛岡競馬場で14名の騎手が「第1ステージ」の2競走(シルバースパー賞・シルバーホイップ賞)を争い、その上位12名が園田競馬場で行われる「第2ステージ」の2競走(シルバーサドル賞・シルバーブーツ賞)に進出できます。第2ステージ終了時点で累積ポイントの最も多い騎手がWSJSに出場します。

とりあえず昨年のような「いちぬけた」は事実上不可能になりました。盛岡の騎手が園田に遠征したり、園田の騎手が盛岡に遠征したりすることは少ないので、「ホーム」のメリットは半減されます。他場所属騎手の慣れ・不慣れの差も少し緩和されます。これはこれで、第1ステージで貧乏クジを引いてしまうと前半の成績だけで足切りされてしまうわけですが、馬に恵まれる・恵まれないは「運も実力のうち」と目をつむりましょう。

一点だけ納得がいかないのは、南関東は4場から4人が出場できるようになったという点です。南関東4競馬場が地方競馬場の中で最も質の高い競走を行っているのは事実ですが、これは騎手の代表を選ぶものです。代表選定が主催者間の力関係を反映したものになってしまうのでは以前の談合方式に逆戻り、選定競走の存在意義が薄れてしまうことにもつながりかねません。

南関東4競馬場は、それぞれの開催がバッティングしないように4場で通年1単位の日程を組んでいるのですから、競走施行数が他の競馬場での施行数に比べて多いわけではありません。1場あたりの施行数は園田競馬の半分以下です。これが4場それぞれの所属騎手のトップが出られるでもいうなら浦和のジョッキーにもチャンスが巡ることになるわけですが、4場で4人という選び方では、大井や船橋の2番手以下の騎手が出てくることになり、他場との不公平感が否めません。一括で選ぶなら大目に見ても3人、常識にかかるなら2人とすべきでしょう。

浮かせた枠は「推薦枠」として、地元では2位に甘んじているが成績は限りなく1位と拮抗している騎手、当該年度に顕著な資質向上が見られた若手の騎手、騎乗数は減っているが大レースでは類い希なる勝負強さの光るベテラン騎手などに門戸を開いてほしいところです。

元々、地区のリーディングジョッキーであったのに、競馬場の経営難や廃止などにより他場への移籍を強いられ苦戦している騎手は、新潟の向山牧騎手、中津の有馬澄男騎手、高知の北野真弘騎手など決して少なくありません。内田利雄騎手のような「フリーの名騎手」に至っては、その道筋すら用意されていないのが現実です。

まだ、場所と日時と出場資格が決まっただけで、ポイントをどう割り付けるかといったことや、どういった条件の競走を組むのかといった具体的なことは決まっていません。もし可能であれば、ぜひ盛岡では芝コースを使って競走してほしいと思います。

騎手という存在は、地方競馬の持ちうる最高の財産です。これを余すことなく活用すべきです。WSJS代表選定にとどまらず、場間交流の枠を超えた「騎手対抗戦」の企画を全国で持ち回れないものでしょうか。まず、地方の枠組みの中にある壁を取り払わない限り、中央競馬との騎手免許の一本化など実現できるはずがないのですから。


かなり似た御意見のブログがありましたので、末筆ながらリンクしておきます。

私的講評 - 88回目の夏

久しぶりに、野球に熱くなることができた。

野球って、ちゃんとやると面白い競技なんだなぁ。

レベルとか順位とか、そういうものを超越したものにこそ醍醐味があるんだなぁ。

どんなに素晴らしい試合をしても、そこには優勝劣敗という厳しい掟がある。正直、私には、勝った者の気持ちはあんまり分からない。でも、負けた者の気持ちはなんとなく漠然と分かるような気がする。勝った者にしか見えない世界があるように、負けた者にしか見えない世界があるのだ。

甲子園には魔物も女神もいない。感動は無作為の中にある。肉体の限界を超えたとき、人を支えるものは精神だけ。身体が「NO」といっても、脳味噌は「YES」という。極限の空間にいた選手にしか見えない世界があったはず。甲子園に縁のなかった私には、それが死ぬほどうらやましい。

力で負けても、気持ちで負けてはいけない。意地という。底力という。学校では教えてくれない、かけがえのないものだ。

野球の神様に心から感謝する。ありがとう。


以下、今大会を見ていて私が気になったこと。

1 変化球頼みの投手が多すぎること

いわゆる「縦スラ」と「フォーク」は、甲子園出場投手の必需品となりつつある。投球数にしめるこれら変化球の割合は年々増加している。一本槍の直球勝負のみを美化するわけではないが、なにしろ将来のある高校生のやること、一定の歯止めが必要である。大会前に投手の肩肘を検査したり、中間に休息日を挟んだり、延長戦を十五回で打ち切ったり、「選手の健康管理」にはシビアなのは大いに結構だが、肝心なところが抜け落ちているのではないか。設備や環境の整備された私立の投手のみが才能を伸ばすことができ、そうでない公立学校の投手はいくら才能があってもそれを伸ばすことができないか、無理をして故障するかで、野球人生を棒に振ることになる。「歯止め」が不適切ならば、ノウハウの共有を促進すべきである。高野連ごとき「あれはダメ。これはダメ」というばかりの結果平等主義のド素人集団に、「こうしてみたらどうか」という機会均等主義の指導力を期待する方が間違ってるかな…。変化球の多用は、つまり以前にも増して配球の優劣が求められるということであり、サインの複雑多用化によって試合時間が長引くことにもなる。

2 「飛ぶバット」に頼った大味な打撃戦が頻発したこと

高野連は、言ってることとやってることが全くリンクしていない。そもそも、バットを重くすればいいというのが、いかにも素人の発想だ。マスコットバットを振り回して打撃練習している高校生に、ほんの数グラム重いバットを与えても、飛距離が伸びるだけだ。かつて「飛ぶボール」で名を馳せたミズノをはじめとする野球用品メーカーは、もはや「金属」と定義すべきかどうか怪しい素材を使ったりして、より重く感じる、重量配分をバットの先に持っていったバットを売り始めた。素材改良でスイートスポット(芯)が広くなり、重量配分の変更でスイングスピードは以前より速くなった。お世辞にも「強打者」には分類できない華奢な打者が、アウトローの球を引っかけただけで外野の頭を破る飛球を放つ。ホームランの増産という表面的な問題にとどまらず、外野守備の練習に時間を割くことのできる広い専用グラウンドを持った学校が有利になったともいえる。

3 「記録員」が機能しているチームはやっぱり強いこと

女子マネージャーの皆さんには大変申し訳ないが、スコアブックにただ闇雲に記入しているだけの記録員がベンチにいても、全く戦力にならない。データを採ることではなく、採ったデータを活用することに意義があるからだ。とりわけ、一戦必勝のトーナメント戦では、敵情視察の速遅がそのまま試合の勝敗につながることが少なくない。勝ち進むチームは、凡退した打者が記録員と頻繁に言葉を交わしている。監督のすぐ横に座り、監督が記録員に耳を傾けている。円陣を組むと一口に言っても、気合を入れるだけではどうにもならない。実態は横に置くとして、高野連は建前として過剰なデータ収集は禁止している。ならば情報は現場で集めるしかない。ランナーコーチャーと同様に、優秀な記録員を養成するべきである。また、戦力となった記録員は賞賛されるべきである。

4 延長戦を打ち切るのはかえって不健康だと思えたこと

「再試合で二度おいしい」とほくそ笑む高野連・新聞社の話題作りのために、有望な高校生が身体を壊してしまうのでは、誰のための高校野球か分からない。大体、15回で打ち切ったからといって、翌日になれば体調が回復するわけではない。間に睡眠を挟むことによって、酷使された肉体は「修復」のモードに入ってしまう。筋肉をいくら丹念にほぐしたところで、それは前日のつづきの状態でしかない。むしろ、一度固まった筋肉を無理矢理ほぐして酷使することは、かえって怪我の可能性を高めることになる。レギュラー選手がフル出場しているケースは少ないだろうが、練習試合となれば1日2試合、3試合を戦うことはザラにある。体力的には決して不可能なことではない。理想だけでいえば、再試合までに中1日以上の休息日を設定するべきなのだが、これは日程的にほぼ不可能なこと。2日がかりでやるよりも、打ち切らずに1日で決着がつくまでやらせるのが、現実には最も健康的なのである。炎天下での長時間試合ではブッ倒れる者も出るだろうが、3回ごとにインターバルを設けるなどすればよい。

5 死球なのに「よけていないから」という理由で判定を覆す審判のこと

それはそれで「ルールを厳格に適用した」といえばそれまでのこと。誤審とかそういうことを言うつもりは毛頭無い。ただ、判定の基準が曖昧すぎる。たとえば、バスターで右足を一歩踏み込んだ左打者の左足に右投手のションベンカーブが当たった場面で、デッドボールが認められないのは絶対におかしい。軸足は動かせないからだ。審判の皆さんも大変だと思うが、判定の基準を明確にしてほしい。個人的な意見を付け加えるなら、よけていようがよけていまいが、あの固いボールが当たったら痛い。そこを承知で、チームのためにわざと当たりにいくのも野球のうちだ。それくらいの気合もない弱気な打者は、インコースの球を弾き返せない。

6 相変わらず、負けてるくせにガッツポーズする選手が多かったこと

なんでもないヒット1本で、いちいちガッツポーズすんなと言いたい。気合の握り拳くらいならまだしも、これみよがしのオーバーアクションが年々増えている。負けてる方もいっしょになってやってるから問題の本質が見失われているが、勝ってる場面でやるのは対戦相手に失礼な行為だ。高野連も、野球を通して礼儀作法を叩き込むというなら、こういうところから何とかしろ。ポーズを取る暇があったら、声を出せ。誰にも負けない大声を出せ。

7 「野球はエース1人いれば十分」であるかのように伝えるアホなマスコミのこと

ピッチャーをやらせてもらえんかった僻みもちょっと入っとるけど…。エースがナンボのもんじゃい。キャッチャーはな、投げ損ねのワンバウンドを身体で止めとんねん。バットに当てられたボールは誰が拾いに行ってると思とんねん。エースはいつも1人で壁当ての投球練習をしてるのか。エースは27アウトの全てを三振で仕留められるのか。なにかと「エース以外は背景みたいなもん」という風潮が蔓延するのは、マスコミには「巨人の星」のような三流野球マンガを真に受けて育った人間が多いことを意味している。ピッチャーを特別な生き物であるかのように甘やかす慣習は、マスコミに限らず往々にして現場でも散見される。野球はピッチャー1人ではできない。レギュラー9人ではできない。背番号をもらえない球拾いの選手でも、しんどいのはみんないっしょや。そこにこそ「教育」の本分があるというものだ。

8 場内で流れる女性シンガーの大会歌に白けまくったこと

表題の通り、それ以上でも以下でもない。誰が歌ってるのか知らんが、あの耳障りに甲高い女の歌声は甲子園に似合わない。今大会、特筆すべき「不祥事」の一つである。

9 結局、「大人の思惑」が最優先されていること

もういい加減、やめてほしいものがある。試合が終わって、疲れ切った選手を炎天下に立たせて行う閉会式である。

高野連が耳にタコができるまで連呼する「教育」とは、「家に帰るまで運動会」と訓示することなのか。朝日新聞社ともあろうものが、いかにも前時代の軍事教練を彷彿とさせる行事を仕切っている。大体、一任意団体と一新聞社に過ぎない高野連や朝日新聞社には、教育の権限など一つもないのである。連中は、高校生をダシにして、できもしない教育を、やってるようにみせかけて、金を稼いでいるのだ。

優勝旗なんか、試合終了と同時に、歓喜の輪に投げ込めばそれでいいのだ。汚れて困るというならレプリカの優勝旗を作ればいいのだ。その場で「おめでとう!」と一言添えれば事足りる。スタンディングオベーションの観衆は、その自然な光景を祝福するだろう。いちいち「閉会式」と称して、つい今まで試合を戦ってきた選手たちを、屋根も何にもない陽炎がゆらめくグラウンドに立たせて、何の意味があるのか。優勝旗を盾にとられた挙げ句、他に捌け口のないジジイどもの公開センズリに付き合わされる方はたまったもんじゃない。

高野連のオッサンと朝日新聞社のオッサンが「講評」「挨拶」と称して読み上げる感想文ほど、試合の余韻をブチ壊すものは他にない。お前らにとやかく言われなくとも、ほんの数分前まで、このグラウンドで行われていた試合が全てなのだ。バントの失敗が多かっただの、牽制死が多かっただの、あっちの初出場校が健闘しただの、こっちの応援団が元気だったとか、決勝戦を戦った選手を立たせて聞かせても何の意味もない。しかも、あることないことケチ付けて、きめ細かい野球を必要以上に賛美したがるくせに、手前どもが率先して導入した「飛ぶバット」については全く知らん顔で押し通す。

高野連による講評など、ビデオレターでも作って、選手が帰りのバスで観られるようにすれば済む。何が「準優勝おめでとう」だ。喧嘩売ってるのか。優勝するために死力を尽くして戦った敗者に失礼だ。朝日新聞社長の挨拶に至っては、「色んな人に感謝しなさい」といいながら、つまるところ「朝日新聞に感謝しろ」と自画自賛する始末。“コトバのチカラ”なんて、しょせんこの程度だ。こんなものは翌日の朝日新聞に掲載すればいい。

オッサンが「お疲れ様」といいながら選手の首にメダルをかけていく。本当にそう思うなら、座らせてやれ。あとで宿舎までメダル持ってこいや。勝った方はともかく、負けた方にとっては“いやがらせ”の儀式としか思えない場内一周。先頭を誘導する女性の胸には「朝日新聞」のロゴが派手派手しく踊っている。疲れを押して行進を強要され、今にも倒れそうな高校生の写真が、明日の一面を飾るのだ。高校生は見世物か。朝日新聞社よ、どうしてもやりたいなら、選手に給与を支払え。児童・生徒を無賃労働させるな。

私欲にまみれた素人のオッサンどもの弁論よりも、朝日放送の解説を務めた星陵高校・山下監督の「最大の敵は、最高の友になる。ビッグな大人になってほしい」という簡潔な一言の方が、大きく心を打った。早稲田実業・駒大苫小牧の選手たちは、宿舎に帰って、あるいは地元に帰って、今日明日は見たくなくともいつの日かきっとビデオを見るだろう。そして、山下監督の一言に心を熱くするだろう。教育とは、人を評価することではなく、人を育成することなのである。

「教育の一環」というスローガンのもと、「教育」を曲解したがる大人の思惑に揺り動かされる高校野球。閉会式には、本音と建前が釣り合っていない高校野球の歪みが凝縮されている。来年こそ、この無意味な式典を撤廃して頂きたいものだ。

「日本の教科書」は日本をどう教えているのか?

実家の物置から、中学2年のときに使った社会科の教科書を掘り出してきた。発行元は大阪書籍である。

琵琶法師が鼻血を出していたり、ザビエルに“ツノ”が生えていたり、黄色いマーカーで線を引いた部分より落書きされた箇所の方が多いような気がするわけだが…。

何年か前に買った、扶桑社の『新しい歴史の教科書』を、久々に本棚から引っ張り出してきた。

ザッと見比べる。ただただ「物は言い様ですな…」と呆れかえる。

豊臣秀吉の「朝鮮出兵」について、私が学んできた落書きだらけの教科書は「朝鮮侵略」と記載している。秀吉軍と戦った李舜臣は「英雄」と表記され、ご丁寧なことに銅像の写真まで載っているのである。ここで、ちょいちょいと鎌倉時代まで頁をさかのぼってみる。すると、元寇は「日本遠征」と記載されている。さらに、現代史の頁を開くと、昭和20年8月の終戦直前になって北方領土へ軍を進め、終戦後も武力で実行支配し続けているソ連(ロシア)については、これを「対日進攻」と記載されている。

扶桑社の教科書は、秀吉が朝鮮に「出兵した」と定義している。大阪書籍とほぼ同等の字数を割いているが、あちらの「英雄」の写真の代わりに、地図が掲載されており、その出兵の目的が朝鮮王朝の征服ではなく、明(中国)と対等な外交関係を構築するためだったとする記述も見られ、秀吉軍が撤兵を決断したのは明の軍隊(援軍)との戦いに敗れたためと締めくくっている。元寇については、「元の襲来」と定義し、2度に渡る元寇と戦うため、それまでやや不和だった幕府と朝廷が手を合わせて戦ったことや、「神風」のエピソードなど、約2頁に渡って詳細に記述している。ソ連については、「中立条約を一方的に破って日本に対して宣戦布告した」と明記している。

さて、豊臣秀吉は「侵略」で、クビライ・カーンは「遠征」で、ソ連は「進攻」と記す大阪書籍の教科書。その語彙の違いは一体何を根拠としたものなのか。また、朝鮮出兵にはほぼ1頁を割いている「詳細かつ懇切丁寧」な教科書が、元寇という日本有史以来未曾有の大国難には何のキャプションも付けず数行の記述にとどめ、ソ連軍が我が国固有の領土を60年以上に渡って不当占拠している国辱的な出来事に至っては、わずか2行にも満たない記述にとどめているのはナゼなのか。

どう考えても、子供に対して、印象の刷り込みを狙った意図的な表記違いとしか考えられないのである。そうでなければ他に説明が付けられない。

近代史の頁に至っては、もはや「表現の違い」では片付けられない部分が多く目に付く。なお、扶桑社の教科書は全336頁のうち160頁以上を明治以降の近現代史に割いている。大阪書籍のそれとは割合にして2割以上の差がある。

大阪書籍の教科書では、伊藤博文は「最初の内閣総理大臣」で「韓国人に暗殺された」と紹介されるのみである。韓国服に身を包んだ初代総督の肖像は、扶桑社の教科書にのみ登場する。我が国を守るために戦った東郷平八郎元帥や乃木希典将軍の名前も、扶桑社の教科書にのみ登場する。アジアの小国・日本が大国・ロシアを打ち破ったことに、中国革命の父・孫文、インドの独立運動家・ネルー、イランの詩人・シーラジー、エジプトの民族運動指導者・ムスタファカミルらが感銘の檄文を発表し、世界中の抑圧された民族が心打たれたという逸話も、扶桑社の教科書にのみ登場する。

大阪書籍は、数少ない頁を文化史に費やしており、まるで幸徳秋水や与謝野晶子といった非戦論者の活動が国難を退けたのだと言わん勢いである。大阪書籍の教科書には、南樺太や北方四島が我が国固有の領土である根拠も記載されてない。伊能忠敬は、ただ単なる地図作りの名人として紹介され、日露戦争やその後の講和条約についても、経緯や背景を抜きに「ポーツマス条約」や「三国干渉」といった歴史用語が紹介されるにとどまっている。

日本が、太平洋戦争の開戦に至るまで、この戦争を回避するために続けた数多くの努力も、大阪書籍の教科書では「無かったこと」になっている。先頃、陛下の日経の「談話メモ」騒動で話題になった松岡洋右は、大阪書籍の教科書では、政府の指示を無視して独断で国際連盟を脱退した人物ということになっている。その国際連盟の会合の議題が何であったのかすら触れることなく、四方を海に囲まれた日本は海軍力が自衛の生命線であり、列強が軍拡を進めているのにもかかわらず、日本にのみ軍縮を求める「国際世論」が展開され、制裁と称した貿易封鎖で石油も石炭も羊毛もない日本は追いつめられていったことなど、お構いなし。あたかも日本が世界からの平和的な提案を拒絶して独善的に戦争の道へ突っ走ったと書き立てるのである。この教科書を読んでいると、まるで朝日新聞を読んでいるような不思議な感覚にさえ陥る。

扶桑社の教科書では「戦争と現代を考える」という2頁切り抜きのコラムで「戦争の悲劇」と「国際協調の精神」を十分に理解させた上で、「GHQは、新聞、雑誌、ラジオ、映画を通して、日本の戦争がいかに不当なものであったかを宣伝した。こうした宣伝は、東京裁判とならんで、日本人の罪悪感をつちかい、戦後日本人の歴史の見方に影響を与えている」と記述し、日本国憲法の草案はGHQが作ったことや、東京裁判においてパール判事が提出した「被告全員無罪」とする意見書のことが紹介されている。

大阪書籍では「戦争被害」について触れているが、主語がアメリカでも連合国でもなく、まるで日本が自爆したかのような印象を受ける。「被害」の説明が苦しくなると「加害」の方向に逃げるきらいがあり、この場合の主語は明快に「日本」となっている。この本だけを読んでいると、「日本がなぜ戦争をしなければならなかったのか?」まったく分からなくなりそうだが、そこは「一部の軍国主義者」という単語で茶を濁すのだ。

なお、大阪書籍の教科書にだけ不備があるわけでも、また、扶桑社の教科書のみが特に詳細であるわけでもない。たとえば、九州へ攻め入った元の兵の多くが、先に元の侵攻を受けた朝鮮半島の人間だったという事実は、どちらの教科書にも掲載されていない。高校の世界史の教科書には、元の軍隊が「朝鮮半島で組織・訓練されたもの」とする記述が見られるが、日本史の教科書には相変わらず登場しない。同じ高校に通っていても、履修科目が違うと歴史上の事実を知らないまま卒業することになる。教科書に載らないことは試験に出ない。大学で歴史でも専攻しない限り、どこかで偶然知るその日まで、この事実を知らないまま生きなければならないのである。

歴史というものは、歴史的事実と時系列で体系的に並べた一つの物語である。積み重ねの中に答えのあるものである。

ところが、大阪書籍の教科書は、この順序を意図的に誤り、歴史を結論ありきで記述したものなのである。教科書の中で物語が完結しており、読み手に「なぜ」と思うところを与えないようにできているのだ。歴史教育がつまるところ記憶力勝負になっている弊害でもあるが、そこに、胡散臭さがある。「神話」を巡る真贋の論争や、「自虐」と「自慰」の史観の論争なんて二の次の問題である。

日本は軍国主義の国で、民主主義はなく、一部の指導者が私利私欲のために戦争をして、回りの国に迷惑を掛けた。戦争をしなければ空襲も原爆もなかった。日本は悪い国なんだ。戦争に負けるのは当たり前なんだ。

大阪書籍の教科書は、そう結論づけたいために、何千年、何百年、大昔の歴史と齟齬をきたす場面をところどころ恣意的に書き換えなければならなかったという印象がどうしても拭いきれない。どこの国の教科書なのか分からない、イカサマで、インチキで、デタラメな、三拍子揃った「売国図書」は、こうして完成したに違いない。

教育とは、歴史教育とは、いちいち本屋さんが答えまで誘導してあげるものではない。発行元の都合に合わせて一方の意見のみを汲み上げたりする必要はない。各論あるなら併記すればよいだけである。学生は、自分の頭で考え、自分で噛み砕き、自分で理解することができるのだ。教科書とは、その助けになる本を指していうのだ。そんな教科書が、我が国には殆どない。

「我が国」のなんたるかを知らずに育った人間は、やがて「我が国」を愛する術が分からない人間になる。実際、戦後60年の日本は、パフォーマンスの愛国心ばかりが先行する、空虚な国家に至りつつある。「我が国」にとってこれ以上の不幸はない。

嘘と理想論の「平和」にはウンザリする

「A級戦犯」という単語が、公共の電波をはじめあちことで飛び交うことに、大きな違和感を禁じ得ない。

そもそも“ABC”は、悪事のランキングではない。A級で禁固の刑に処せられたのち復権・復職した政治家もいるし、C級で死刑になった者もいる。先に戦争が終結したドイツでは、ユダヤ人虐殺の容疑者がC級であるように、あくまで“ABC”は公判手続き上の分類に過ぎない。この分類は勝戦国(あえて連合国とは書かない。理由は後述)によって行われたもので、敗戦国である日本は、この分類に関与も言及もできない立場であった。

中韓では、戦後の混乱に乗じて、裁判とは名ばかりの「人民裁判」が数多く催され、ロクな教育も受けていない非文明的で後進の野人がごとき中韓人の感情おもむくままに銃殺刑に処せられた人がいる。日本の戦後における“C級戦犯”は、この中韓の無法極まりない行為を正当化するために後付けされたものである。デタラメでインチキな中韓の戦後史には、「支那内戦で毛沢東が殺した中華同胞の数」が、「日本兵によって虐殺された数」に置き換えられていたり、つじつまを合わせるために後付けされた部分が多々ある。

「東京裁判」という言葉にも、大きな違和感を禁じ得ない。

あれは「極東軍事裁判」なのである。これもまた裁判とは名ばかりの、勝戦国による敗戦国への報復ショーであった。やや体裁の整えられたものであるが、質的には人民裁判と大差ない。「平和に対する罪」に問われ、東条英機首相らが死刑になった。

「平和に対する罪」とは何なのか。戦争をすることが罪なのか。ならば、都会の人の寝込みに焼夷弾をバラ捲き、田畑を耕す農民を機銃掃射し、孤島を逃げまどう民間人を餓死に追い込み、我が国が白旗を上げたのを知りながら原爆を投下したアメリカの責任はどうなるのか。

大東亜戦争がはじまる前の世界に立ち返るなら、アメリカはもちろん、イギリス、フランス、オランダ、ロシアの列強がアジアの覇権を目指して「侵略行為」を繰り返していたのである。日本の行為が「侵略」であり、それが「平和を犯す行為」であるならば、この罪に問われるべき国は決して日本だけではない。

東南アジアには、降伏の知らせを聞いた日本兵が、武器を現地の住民に横流ししたという話が幾つも残されている。やがて連合国が乗り込んできて、日本軍の武器・弾薬が接収されてしまえば、現地は再び列強の植民地に逆戻りしてしまう。8月15日以降も、義勇軍として現地住民とともに戦いを続け、そのまま帰国しなかった者は少なくない。銃を手にとって戦わずとも、日本軍が持っていた病院や学校や橋梁や隧道の建設のノウハウを技術指導することで、現地住民を支援した者もいる。中には独立の英雄として勲章を受けた者もいる。これらの国では、今もなお独立記念のパレードでは、自国の国歌の前に君が代を演奏される。

私たちは、学校では何も教えてもらえなかった。「日本人はアジアの人々に多大な迷惑をかけた。日本は悪い国だから反省しないといけない」と刷り込まれてきた。たしかに迷惑に思われたり、犠牲を強いたりした部分は多分にあっただろう。しかし、それが全てではないのだ。

NHKの討論番組に出演していた自称・原爆体験者は「負けると分かっている戦争をはじめた責任」といった。では、聞きたい。四方を海に囲まれた鉱物資源に乏しい島国が、列強の圧力に追い込まれ、その国家存亡の危機に立たされたとき、戦争の他に何が出来ただろうか。昭和16年の夏から秋にかけて、米英との開戦前夜の時期、もしも私が大日本帝国の内閣総理大臣であったなら、おそらく東条英機と同じ判断を下したに違いない。

日本が戦争に突き進んだ時代は、「勝つか、負けるか」などと悠長なことを言ってられる「平和な時代」では無かったのだ。昭和20年の冬、我が国に備蓄されていた石油・石炭はわずか数ヶ月分。油を手に入れるため、戦争をする他には、列強の内政干渉を受け入れ属国の一つに組み入れられるしかなかったのである。

敗戦に導いた指導者の責任を問うといえば聞こえはよいだろうが、ならば指導者は日本をイギリスの植民地にしてもらって、インドのように搾取される国にすればよかったのか。あるいはロシアの社会主義圏に組み入れてもらって、日本人を革命の駒としてシベリアの炭坑で強制労働させればよかったのか。

東京を空襲したのは、沖縄に上陸したのは、原爆を落としたのは、すべて連合国軍である。我が国を火の海にしたのは、間違っても「A級戦犯」といわれる人々ではない。原爆記念館には私も一度だけ行ったことがあるが、悲惨な情景を目の当たりにして湧き上がるのは、この人類史上に特筆されるべき非人道的な爆弾を製造・使用したアメリカへの怒りだった。ただ、ガイドの女性が、あたかも「日本軍が原爆を投下したのだ」と言わんばかりだったため、これに気分を害し、「二度と行くものか」と思っている。今回、そのときと全く同じような気持ちを抱かざるを得ない。日本国と日本人の独立を維持するためには、戦争の他になかったのである。戦争に負けたからといって、いわれもない原爆投下の責任まで日本が被ってやる必要はない。

極東軍事裁判が裁いた「平和に対する罪」の「平和」とは、「連合国の平和」である。日本軍と交戦したしたことが一度もない(戦争には参加していない)のに、終戦間際になって駆け込みで連合国と同盟を結ぶ国が続出したのは、この裁判に参加して日本から賠償金を引き出すためである。「連合国」とひとくくりにして、その全ての国に対して一括して責任を負わねばならぬ道理がそもそもない。日本には「連合国の平和」を乱した事実もなければ、百歩譲って「連合国のうちの幾つかの国の平和」を乱しそれが犯罪にあたるのであれば、連合国は「日本の平和」を乱した罪を負うのが筋である。

「日本の平和」をかき乱したのは日本ではない。日本の平和をかき乱したのは、小国を見下し、挑発を繰り返し、戦争の他に手段がないところまで追い込んだ連合国である。戦争が犯罪であるならば、連合国には「日本の平和を乱した罪」があり、それはルーズベルトでありチャーチルでありスターリンであり毛沢東が負うものである。

日本人が、極東軍事裁判の結果をもって「日本を敗戦に導いた責任」と読み替え、犯罪者でも何でもない同じ日本人である「A級戦犯と呼ばれた人たち」を誹謗中傷するようなど言語同断である。また、「日本を犯罪に導いた責任」を政治家個人が負わねばならぬとする法的根拠は1つもない。政治家を選んだ国民の責任だからである。もしも戦争が犯罪であるならば、日本人は一億総犯罪者ということになってしまう。日本人だけでなく、戦争に参加した世界数十億人が総犯罪者である。戦争をしたくらいで犯罪者になっていたら、世界は前科者だらけだ。なにかにつけて「戦争責任」を持ち出す連中の、一部の政治家に責任をなすりつけることで自分の責任を逃れようという醜い魂胆はみえみえなのである。

教科書には「日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した」と書いてある。しかし、これが大嘘で、日本は「無条件降伏」などしていない。日本は「天皇を死刑にしない」という条件を譲らなかったからである。天皇を死刑にしないかわりに殺されたのが「戦争犯罪人と呼ばれた人たち」である。彼らは戦後に連合国が定めた事後法、それも国内法規ではなく国際法という非常に曖昧な法規によって、犯罪者とこじつけられたに過ぎない。もしも天皇が処刑されていたら、我が国の戦後のめざましい復興はなかったであろう。

私個人は「戦争責任は誰にもない」と思っている。もし戦争責任があるならば、それは直接・間接の如何を問わず戦争に参加した全ての人間が等しく負うものだと思っている。連合国にとっては犯罪者でも、日本国にとっては功労者であるからだ。国体維持のために命を差し出した「戦争犯罪人と呼ばれた人たち」のおかげで、我が国の今日があるのだ。政治家であれ一兵卒であれ国のために命を捧げ戦った人たちを、同じ日本人として悪く思うことはできない。いや、してはならないのである。

同じNHKの番組では、左翼思想にかぶれたババアが、北朝鮮をなぞらえて「日本がいつか来た道」と言い放った。戦前の日本と現在の北朝鮮が同じような国であるというのである。アカのババアもババアなら、こんなものを電波に乗せて放送するNHKの神経も相当イカれたものである。

日本は戦前も戦後も、明治維新以降は一貫して民主主義と資本主義の国であった。男子のみとはいえ選挙権があり、普通選挙が行われた。戦中の翼賛政治の下でも選挙は行われたし、官憲が特定の議員に投票を強要した際には、最高裁判所が選挙の無効とやり直しを判決したという例もある。北朝鮮に自由選挙が行われたという話は聞いたことがない。そんなものがあったら、あのブタ野郎がいつまでも将軍でいられるわけがない。

周辺国の事情も当時とは違う。アジアの諸国は、イデオロギーの差と、国境線を巡る小さな騒動の他、概ね独立国である。他国に進駐され権益を貪られていたり、その恐怖におののいている国ない。唯一、チベット民族やウイグル民族などの少数民族が自主独立を達成できないでいるが、これらはすべからく、現代に於ける左翼思想の総本山・中国共産党の横暴な拡大政策によるものである。

当時の日本、現在の北朝鮮、一体どこが同じなのだろうか。北朝鮮を軍事的に刺激している他国が1つでもあるだろうか。嘘を駆使してまで日本を卑しめたいのだろうか。こういう左翼ババアが教師になって、平気で嘘を教えているに違いない。まぁ、嘘をついてまで祖国を侮辱しても逮捕も処罰もされない日本は、むしろ「自由」の国といえるだろう。

「終戦記念日」という言葉に、大きな違和感を禁じ得ない。

8月15日は終戦の日ではない。まして記念日ではない。サンフランシスコの講和会議で平和条約を結ぶ日まで、日本は戦争していたことになっているからだ。8月15日は、日本が連合国からの降伏勧告を受諾し、連合国による占領統治を受け入れた日である。

もしも戦争をしていなければ、日本は昭和17年ないし18年に、欧米露の列強のいずれかの国に占領統治されていただろう。といっても、それは数年後に独立を回復できるような統治ではない。戦争をすることもまま成らず植民地化を余儀なくされていたアジア諸外国のように、我が民族固有の言葉や文字を奪われ尊厳を踏みにじられた中で、宗主国のさらなる侵略政策の一翼を担う存在になることなのだ。

日本に、勝ち目がなかったのは誰の目にも明らかであるが、日本は戦争をすることで4年生き延びた。そのおかげで、私たち現代の日本人は、先祖から受け継いだ悠久の歴史と文化に包まれた日常生活を送ることができるのだ。もしも戦争をしていなければ、日本の一部はロシアに組み入れられて、内戦を繰り返す危険な場所だっただろう。南方は中国に割譲され、文化大革命の時代には、毛沢東の大虐殺の一端を担うことを余儀なくされていたやもしれない。

最後に、8月15日に内閣総理大臣が靖国神社を参拝した件について書いておきたい。

内閣総理大臣・小泉純一郎も日本国民の一人であり、神仏の前で「私的」も「公的」もない。「政教分離」というのは政治と宗教が一体となる状態を禁じているのであって、政治家が宗教的観念や素養を持ってはならないという意味ではない。靖国神社は、多くの戦没者の魂を祀った場所であり、一種の文化財でもある。これが違憲・違法であるなら、古墳の発掘事業や老朽化した寺社仏閣の修復事業に文化庁が国費を支出することも違法になる。

教科書に名前が載る有名人だろうが、名も知られない兵隊さんだろうが、彼らはすべからく国のために死んでいったのである。「天皇陛下万歳」も「お母さんありがとう」も、つまるところ国そのものであり、国あってのものなのである。国のために命を落とした人々の御霊を、国が国の責任で手厚く護っていくことは、国として当たり前のことである。大騒ぎになるのがおかしい。まして、外国からとやかくいわれることがおかしい。

「無宗教」という大義名分を掲げて靖国神社の存在を否定する者も少なくないが、大統領が聖書に手を置いて宣誓している国や、同じ宗教を信仰する者が集まって建国した国や、信仰する宗教の違いのために自国民同士でいざこざが耐えない国の価値観を基準にするのは、あまりにナンセンスであり、我が国における漠然とした宗教観と相容れるべきではない。

日本の神社は、来訪者は異教徒であるからといって迫害したり排斥したりしない。神道に則った礼拝作法が定められているが強要されることもない。たとえば合掌は仏教の作法であるが、神社の賽銭箱の前で合掌したからといって、神道信者が怒り狂って詰め寄ってくるなんてことは絶対にない。ある意味ではいい加減な宗教観のおかげで、我が国は有史以来、一度も宗教戦争が起こったことのない平和な国なのである。

靖国神社は、神社の体裁ではあるが、戦前、戦中の日本人の宗教観と無宗教観を両方投影できる施設である。浄土宗の私でも修学旅行で伊勢神宮へ行くし、キリスト教の友達でも初詣に明治神宮へ行く。それが靖国神社になると「無宗教」を大義名分にしてダダをこねる人というのは、宗教観以前に単に協調性が不足しているだけである。

こういうことがあるたびに、必ず「中韓への配慮」を論点にする、マスコミをはじめとする左巻きの連中に、大きな違和感を禁じ得ない。

朝日・毎日をはじめ、金儲けのためなら天皇も売る日経、いざとなると腰抜けの読売・産経、お前らは一体どちらの国を向いて商売しているのかと言いたくなる。こちらが機嫌を伺うから、あちらも怒りのパフォーマンスをするのである。放っておけばいいのである。日本人の宗教観について他国、それも共産主義で宗教そのものを否定している国や、儒教にそそのかされて寺焼きをやったことのある国から、とやかく言われる筋合いはない。いうまでもないが、彼らの宗教観に合わせる必要もない。日本人には日本人の宗教観がある。

そもそも、大日本帝国は中韓と戦争をしたわけではない。

歴史の教科書に載っている「日中戦争」なる用語が間違いである。当時、中国という国は存在しない。日本軍は、欧米列強の進出を食い止められず無政府状態で内戦を繰り返していた支那地方で、その一勢力であった共産党および国共合作後の国民党と戦っただけである。迫害により失脚した清王朝の皇帝は日本国政府が保護し、満州国の皇帝に即位した。「傀儡」と言われようが何と言われようが、大日本帝国は支那王朝の正統を護持しようとしたのである。

「抗日戦争」なんてのは戦後になって中国共産党が勝手に作った言葉であり、無政府状態を招いた内輪もめを包み隠しているだけである。無政府状態の大地で、欧米列強も私利私欲にまみれて戦っていた。冬は極寒で資源もロクに出ない満州を、どこの誰が好んで「侵略」するというのか。「侵略」の旨味にあずかっていたのは、日本の参戦まで、大河に囲まれた肥沃な中部や、港湾のある南方を押さえていた欧米列強である。旨味を吸い尽くしたものや、旨味にあずかれなかった者が、やがてそこを踏み台に「侵略」の矛先を日本列島に向けるのは時間の問題であった。日本は、その独立を守るため、興味もない大地に進出せざるを得なかっただけである。

朝鮮半島に至っては、中国ほどの値打ちもない。大体、朝鮮半島は支那の直轄地に過ぎず、支那が無政府状態となるまでは、国というべき国自体が存在していなかったのである。言うまでもなく文明後進国で、街はウンコにあふれ、死体がそこらに転がっていた。日本はこの国を植民地化するのではなく併合してあげたのである。「創氏改名」や「日本語教育」をもって「ミンジョクの尊厳を踏みにじったニダ」というのは大間違いである。併合前の韓国では、大衆の「名」は通称、「姓」に至っては一部の上流階級しかを持っていなかった。識字教育を受けられる者も一部の上流階級に限られていた。いい加減な戸籍しか無い国に、きちんとした戸籍制度を定着させるには、国民に姓名が必要であり、そのためには識字教育が必要だったのである。

戸籍を取得したものは日本人と同等に扱われる。特段の前科でもない限り、日本には自由に渡航できる。留学や商売のため、多くの人間が日本へ渡った。日本で教育を受け、将校や兵隊になった者は数え切れない。召集令状を無視すると憲兵に連行されるのは、本土の日本人でも同じこと。朝鮮人だけが「強制連行」されていたわけではない。従軍慰安婦も同様である。同じ日本国民として、朝鮮半島の日本人には本土の日本人以上の利益がはかられていた。

死体をそこら辺に捨てる奴らに、火葬や埋葬というものを教えてあげた。下水道設備を整え、歴史的建造物を修復し、街を美化した。寺を焼き払うという愚かな過去があるため寺社がほとんどない(朝鮮人は豊臣秀吉が焼き払ったというデマを教科書に載せているが大嘘。儒教を曲解して朝鮮人自ら焼き払った。現在でも、朝鮮の寺は奥行った山の中にあることが多い。目に付く町中の寺を優先して焼き払ってしまったためである。)朝鮮半島に、寺や神社を建立した。

どうしようもないと列強から見捨てられていた国を、日本は手厚く「併合してあげた」のである。謝罪なんてのっての他、むしろ感謝されるべきである。しなくてもいい謝罪と賠償を、日本国政府は既に済ませている。わずかながらしてやっただけでも十分だ。

8月15日を境に、その日まで日本人として処遇され、日本人のおかげで文明の大きな進歩を享受してきた朝鮮人は、さも「勝戦国」であるかのように寝返った。日本が建設した役所、役所、警察署、消防署、病院、鉄道、道路、発電所、ダム、港湾、全てをあたかも自分たちが作ったものであるかのように接収した。

しかし、残念ながら朝鮮人は、極東軍事裁判にもサンフランシスコ講和会議にも呼ばれていない。「歴史は勝者が書くもの」といわんばかりの大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国だが、この両国は極東軍事裁判にもサンフランシスコ講和会議にも呼ばれておらず、勝者の定義した歴史の中において認知されていない存在である。その滑稽ぷりときたら腹がよじれて痛い。サンフランシスコ平和条約は、戦勝国が日本の独立回復と国際社会復帰を認めた国際講和条約であるが、その中で「条約非締結国が日本に対して戦後賠償を要求することを禁止」している。

国内の朝鮮人は、帰国しようと思えばいつでも帰国できた(帰りたいと言ってる人間を我が国政府が引き留めた事実は一度もない。また現在でも帰りたければいつ帰ってもいいことになっている)のに、自らの意志で民族の誇りを捨て、経済力未熟な半島に帰らず、日本での生活を選択したのだ。こういった朝鮮人は戦後の混乱期に駅前の一等地などを不法に占拠した。駅前にパチンコ屋が多いのは気のせいではない。なお、「三国人」という言葉は、これら不法占拠が横行した際、不良外国人を指す言葉として用いられたもので、差別語でも何でもない。マスコミも普通に使用している言葉であった。

その間、朝鮮半島では社会主義の北と資本主義の南で内戦が勃発した。大戦中はロシアに逃げていたはずの金日成とかいうインチキオヤジを「抗日の英雄」に仕立てた北をもてはやし、「地上の楽園だ」と飛んでいったアホは少なくない。南のアホは、内輪もめを棚に上げて、内戦の責任を日本に押し付けようとする。未だにこの内戦は終結しておらず「休戦」のままである。まったく、日本の首相が神社に行っただけで「軍国主義の台頭」を懸念するのも結構だが、テメーらこそ戦争を早く終わらせやがれといいたいものである。

そして在日朝鮮人は、我が国に文句を言いながら、我が国の手厚い社会保障制度の恩恵をこれでもかとあずかっている。最近では「韓流」とかいうブームを捏造して、税金も払わないような在日系企業がグッズ販売にいそしんでいる。「パチンコ冬のソナタ」とかいう商品は正にその象徴である。

北朝鮮が悪さをしたりして肩身が狭くなりそうになると、朝鮮人は自らカミソリ入りの手紙を朝鮮人団体の本部に送ったり、朝鮮学校の子供の制服をハサミで切ったりして、この自作自演の猿芝居を根拠に「差別だ」とわめきたてる。その証拠に、カミソリ入りの手紙を送ったり制服をハサミで切ったという罪で日本人が逮捕されたという話は聞いたためしがない。それ以前の問題として、わざわざ民族衣装に着替えて電車に乗るという行為が既に怪しいわけだが、そもそも彼らは不法滞在者であるから、我が国に定住するに足る根拠を提示できないのを棚に上げるべく、「差別されている」と自ら声をあげる他ないのである。

自らの意志で渡来し、自らの意志で帰国せず、一等地を占拠している連中が「強制連行」を口にするなんて、ちゃんちゃらおかしい。都合のいいときだけ朝鮮人になりきって税金を逃れたり社会保障をむしりとったりする寄生虫のくせに、輪を掛けて選挙権をよこせという厚かましさ。こういう連中に「話の分かる存在」として近づき理解を示す日本人がいるのだから、日本人だって恥を知らねばならぬ。

とまれ、本題。「平和」なんて嘘と理想論ばっかりなのである。

その究極が「戦争をしてはいけない」なんて言うことである。人類史上、戦争をしたことのない国や民族なんてどこにもない。戦争をする気がなくても、戦争を吹っかけられたら受けるしかない。おめでたい左翼のアホは「日本を戦争のできる国にしてはならない」と街宣しているが、「戦争ができる」と「戦争をする」のは違うこと。「戦争のできない国」とは、外国の侵入から自国民を守るという国家の基本的な義務を放棄しているということだから、「戦争のできない国」は国家の成立要件すら満たしていない「国もどき」である。左翼が政権を取ったら、我々は一日も早くクーデターを起こし、「国もどき」を「国」に戻さねばならない。日本は、世界で最も「国もどき」に近い場所にいる。

銃口を向けて「金を出せ」とわめき立てる銀行強盗に、「話せば分かる」と説教をしたところで、強盗が引き金を引けば丸腰の従業員は死ぬのである。従業員が暴力を好まない人であっても、撃たれたら終わりなのだ。命あっての物種、生きるために戦わねばならぬことが往々にしてあるのだ。平和主義なんて、とどのつまりが「戦争をしたくない」だけなのでなのである。生存権を放棄した奇特で怠惰な連中がハマるインチキ宗教だ。

戦争は人間の本能。人間は戦争をするために国家を作るのだ。だから、世界では今日も戦火が絶えない。我が国が戦後60年、戦争をせずにいられたのは、幸いにも我が国に飛び火しなかっただけのことである。それは、米国の核の傘による抑止力によって達成されたものである。日本国憲法があったからでは決してない。

日本は「戦争のできる国」になるべきである。平和とは均衡であり、均衡は武力という手段なくして勝ち取れない。平和主義者が大好きな国連も、核を持っていなければまともな発言権が与えられない組織なのである。隣国がとやかくいうからといって折れる必要はない。隣国のミサイルは365日24時間、我が国の主要都市を照準している。丸腰の平和主義など、ならず者がスイッチを押すだけで吹っ飛んでしまうのだ。

“ Veni, Vidi, Vici ” - ホンダF1、第3期初優勝!!!

15年前のハンガリーグランプリ。レース直前に本田宗一郎さんが亡くなった。

この年、マクラーレン・ホンダは開幕4連勝でロケットスタートしたが、夏の訪れと同時に攻勢をかけたウィリアムズ・ルノーに劣勢が続いていた。ここも下馬評は決して芳しくなかった。ここで負けるとシーズンの流れも変わるだろう。いよいよ追い込まれていた。

チームメンバーは喪章を巻いてレースに挑んだ。研究所は重いと酷評されるV12エンジンを突貫で改良、ぶっつけ本番で投入した。アイルトン・セナの駆るマシンは前戦より10キロ以上軽量化された。灼熱のレース、ナイジェル・マンセルの追撃を振り切り優勝。“おやじ”に捧げる1勝でシーズンの流れを取り戻したマクラーレン・ホンダはドライバーズ、コンストラクターズの両チャンピオンシップをものにすることになる。


東洋には「鯛の尻尾より鰯の頭(かしら)」という故事がある。

万事、1位の他は全て負けである。どんなに僅差でも2位以下は敗者である。たとえ偶然でも1位のみが勝者である。競い事である限り、勝者は1人しかいない。「鰯の頭」であることにささやかな誇りを持たなければ、九分九厘の人は人生をつまらないままに終わらせてしまう。

現実社会はなかなか理屈通りには生きられない。「勝ち組・負け組」というカテゴライズによって、あたかも「鯛の頭」が「鰯の尻尾」に優先するかのような風潮さえある。鯛は鯛でも「腐っても鯛」がもてはやされる。

スポーツの世界においても同様である。負けているのにガッツポーズをするプレーヤー、2位や3位のプレーヤーを賞賛するオーディエンス。このみみっちさには白けてしまう。それぞれの条件の中でベストを尽くしたかどうかは別である。ベストを尽くすのは当たり前のことだからだ。

努力ではなく結果を評価しなければ、競い事をする意味などない。敗者が、悔しい、悲しい、腹立たしいと地団駄を踏み続けたところで、そんなものはエモーショナルなパフォーマンスにしかならない。ゴリラが胸を叩くのと大して変わらない。

悔しければ、勝てばよい。

悲しければ、勝てばよい。

腹立たしければ、勝てばよい。

結果のみが、閉塞感を打ち破ることができる。価値観の多様化とは、成果主義を否定する思想の台頭を許容することではない。勝者の努力を軽んじている限り、敗者は敗者のままだ。努力に対する賞賛は、結果に対する賞賛の付帯物である。結果を賞賛する。結果に至る努力を賞賛する。

優勝して鰯の頭になった。表彰台なんて鯛の尻尾だ。ホンダの努力を知っている。結果が出た今日、はじめてその努力を賞賛できる。

おめでとう。

次の戦いがある。勝者でも敗者でもない、鯛の頭になるその日まで挑戦者として戦わねばならない。

がんばれ。

 Restore Buffaloes !!

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