私的講評 - 88回目の夏

久しぶりに、野球に熱くなることができた。

野球って、ちゃんとやると面白い競技なんだなぁ。

レベルとか順位とか、そういうものを超越したものにこそ醍醐味があるんだなぁ。

どんなに素晴らしい試合をしても、そこには優勝劣敗という厳しい掟がある。正直、私には、勝った者の気持ちはあんまり分からない。でも、負けた者の気持ちはなんとなく漠然と分かるような気がする。勝った者にしか見えない世界があるように、負けた者にしか見えない世界があるのだ。

甲子園には魔物も女神もいない。感動は無作為の中にある。肉体の限界を超えたとき、人を支えるものは精神だけ。身体が「NO」といっても、脳味噌は「YES」という。極限の空間にいた選手にしか見えない世界があったはず。甲子園に縁のなかった私には、それが死ぬほどうらやましい。

力で負けても、気持ちで負けてはいけない。意地という。底力という。学校では教えてくれない、かけがえのないものだ。

野球の神様に心から感謝する。ありがとう。


以下、今大会を見ていて私が気になったこと。

1 変化球頼みの投手が多すぎること

いわゆる「縦スラ」と「フォーク」は、甲子園出場投手の必需品となりつつある。投球数にしめるこれら変化球の割合は年々増加している。一本槍の直球勝負のみを美化するわけではないが、なにしろ将来のある高校生のやること、一定の歯止めが必要である。大会前に投手の肩肘を検査したり、中間に休息日を挟んだり、延長戦を十五回で打ち切ったり、「選手の健康管理」にはシビアなのは大いに結構だが、肝心なところが抜け落ちているのではないか。設備や環境の整備された私立の投手のみが才能を伸ばすことができ、そうでない公立学校の投手はいくら才能があってもそれを伸ばすことができないか、無理をして故障するかで、野球人生を棒に振ることになる。「歯止め」が不適切ならば、ノウハウの共有を促進すべきである。高野連ごとき「あれはダメ。これはダメ」というばかりの結果平等主義のド素人集団に、「こうしてみたらどうか」という機会均等主義の指導力を期待する方が間違ってるかな…。変化球の多用は、つまり以前にも増して配球の優劣が求められるということであり、サインの複雑多用化によって試合時間が長引くことにもなる。

2 「飛ぶバット」に頼った大味な打撃戦が頻発したこと

高野連は、言ってることとやってることが全くリンクしていない。そもそも、バットを重くすればいいというのが、いかにも素人の発想だ。マスコットバットを振り回して打撃練習している高校生に、ほんの数グラム重いバットを与えても、飛距離が伸びるだけだ。かつて「飛ぶボール」で名を馳せたミズノをはじめとする野球用品メーカーは、もはや「金属」と定義すべきかどうか怪しい素材を使ったりして、より重く感じる、重量配分をバットの先に持っていったバットを売り始めた。素材改良でスイートスポット(芯)が広くなり、重量配分の変更でスイングスピードは以前より速くなった。お世辞にも「強打者」には分類できない華奢な打者が、アウトローの球を引っかけただけで外野の頭を破る飛球を放つ。ホームランの増産という表面的な問題にとどまらず、外野守備の練習に時間を割くことのできる広い専用グラウンドを持った学校が有利になったともいえる。

3 「記録員」が機能しているチームはやっぱり強いこと

女子マネージャーの皆さんには大変申し訳ないが、スコアブックにただ闇雲に記入しているだけの記録員がベンチにいても、全く戦力にならない。データを採ることではなく、採ったデータを活用することに意義があるからだ。とりわけ、一戦必勝のトーナメント戦では、敵情視察の速遅がそのまま試合の勝敗につながることが少なくない。勝ち進むチームは、凡退した打者が記録員と頻繁に言葉を交わしている。監督のすぐ横に座り、監督が記録員に耳を傾けている。円陣を組むと一口に言っても、気合を入れるだけではどうにもならない。実態は横に置くとして、高野連は建前として過剰なデータ収集は禁止している。ならば情報は現場で集めるしかない。ランナーコーチャーと同様に、優秀な記録員を養成するべきである。また、戦力となった記録員は賞賛されるべきである。

4 延長戦を打ち切るのはかえって不健康だと思えたこと

「再試合で二度おいしい」とほくそ笑む高野連・新聞社の話題作りのために、有望な高校生が身体を壊してしまうのでは、誰のための高校野球か分からない。大体、15回で打ち切ったからといって、翌日になれば体調が回復するわけではない。間に睡眠を挟むことによって、酷使された肉体は「修復」のモードに入ってしまう。筋肉をいくら丹念にほぐしたところで、それは前日のつづきの状態でしかない。むしろ、一度固まった筋肉を無理矢理ほぐして酷使することは、かえって怪我の可能性を高めることになる。レギュラー選手がフル出場しているケースは少ないだろうが、練習試合となれば1日2試合、3試合を戦うことはザラにある。体力的には決して不可能なことではない。理想だけでいえば、再試合までに中1日以上の休息日を設定するべきなのだが、これは日程的にほぼ不可能なこと。2日がかりでやるよりも、打ち切らずに1日で決着がつくまでやらせるのが、現実には最も健康的なのである。炎天下での長時間試合ではブッ倒れる者も出るだろうが、3回ごとにインターバルを設けるなどすればよい。

5 死球なのに「よけていないから」という理由で判定を覆す審判のこと

それはそれで「ルールを厳格に適用した」といえばそれまでのこと。誤審とかそういうことを言うつもりは毛頭無い。ただ、判定の基準が曖昧すぎる。たとえば、バスターで右足を一歩踏み込んだ左打者の左足に右投手のションベンカーブが当たった場面で、デッドボールが認められないのは絶対におかしい。軸足は動かせないからだ。審判の皆さんも大変だと思うが、判定の基準を明確にしてほしい。個人的な意見を付け加えるなら、よけていようがよけていまいが、あの固いボールが当たったら痛い。そこを承知で、チームのためにわざと当たりにいくのも野球のうちだ。それくらいの気合もない弱気な打者は、インコースの球を弾き返せない。

6 相変わらず、負けてるくせにガッツポーズする選手が多かったこと

なんでもないヒット1本で、いちいちガッツポーズすんなと言いたい。気合の握り拳くらいならまだしも、これみよがしのオーバーアクションが年々増えている。負けてる方もいっしょになってやってるから問題の本質が見失われているが、勝ってる場面でやるのは対戦相手に失礼な行為だ。高野連も、野球を通して礼儀作法を叩き込むというなら、こういうところから何とかしろ。ポーズを取る暇があったら、声を出せ。誰にも負けない大声を出せ。

7 「野球はエース1人いれば十分」であるかのように伝えるアホなマスコミのこと

ピッチャーをやらせてもらえんかった僻みもちょっと入っとるけど…。エースがナンボのもんじゃい。キャッチャーはな、投げ損ねのワンバウンドを身体で止めとんねん。バットに当てられたボールは誰が拾いに行ってると思とんねん。エースはいつも1人で壁当ての投球練習をしてるのか。エースは27アウトの全てを三振で仕留められるのか。なにかと「エース以外は背景みたいなもん」という風潮が蔓延するのは、マスコミには「巨人の星」のような三流野球マンガを真に受けて育った人間が多いことを意味している。ピッチャーを特別な生き物であるかのように甘やかす慣習は、マスコミに限らず往々にして現場でも散見される。野球はピッチャー1人ではできない。レギュラー9人ではできない。背番号をもらえない球拾いの選手でも、しんどいのはみんないっしょや。そこにこそ「教育」の本分があるというものだ。

8 場内で流れる女性シンガーの大会歌に白けまくったこと

表題の通り、それ以上でも以下でもない。誰が歌ってるのか知らんが、あの耳障りに甲高い女の歌声は甲子園に似合わない。今大会、特筆すべき「不祥事」の一つである。

9 結局、「大人の思惑」が最優先されていること

もういい加減、やめてほしいものがある。試合が終わって、疲れ切った選手を炎天下に立たせて行う閉会式である。

高野連が耳にタコができるまで連呼する「教育」とは、「家に帰るまで運動会」と訓示することなのか。朝日新聞社ともあろうものが、いかにも前時代の軍事教練を彷彿とさせる行事を仕切っている。大体、一任意団体と一新聞社に過ぎない高野連や朝日新聞社には、教育の権限など一つもないのである。連中は、高校生をダシにして、できもしない教育を、やってるようにみせかけて、金を稼いでいるのだ。

優勝旗なんか、試合終了と同時に、歓喜の輪に投げ込めばそれでいいのだ。汚れて困るというならレプリカの優勝旗を作ればいいのだ。その場で「おめでとう!」と一言添えれば事足りる。スタンディングオベーションの観衆は、その自然な光景を祝福するだろう。いちいち「閉会式」と称して、つい今まで試合を戦ってきた選手たちを、屋根も何にもない陽炎がゆらめくグラウンドに立たせて、何の意味があるのか。優勝旗を盾にとられた挙げ句、他に捌け口のないジジイどもの公開センズリに付き合わされる方はたまったもんじゃない。

高野連のオッサンと朝日新聞社のオッサンが「講評」「挨拶」と称して読み上げる感想文ほど、試合の余韻をブチ壊すものは他にない。お前らにとやかく言われなくとも、ほんの数分前まで、このグラウンドで行われていた試合が全てなのだ。バントの失敗が多かっただの、牽制死が多かっただの、あっちの初出場校が健闘しただの、こっちの応援団が元気だったとか、決勝戦を戦った選手を立たせて聞かせても何の意味もない。しかも、あることないことケチ付けて、きめ細かい野球を必要以上に賛美したがるくせに、手前どもが率先して導入した「飛ぶバット」については全く知らん顔で押し通す。

高野連による講評など、ビデオレターでも作って、選手が帰りのバスで観られるようにすれば済む。何が「準優勝おめでとう」だ。喧嘩売ってるのか。優勝するために死力を尽くして戦った敗者に失礼だ。朝日新聞社長の挨拶に至っては、「色んな人に感謝しなさい」といいながら、つまるところ「朝日新聞に感謝しろ」と自画自賛する始末。“コトバのチカラ”なんて、しょせんこの程度だ。こんなものは翌日の朝日新聞に掲載すればいい。

オッサンが「お疲れ様」といいながら選手の首にメダルをかけていく。本当にそう思うなら、座らせてやれ。あとで宿舎までメダル持ってこいや。勝った方はともかく、負けた方にとっては“いやがらせ”の儀式としか思えない場内一周。先頭を誘導する女性の胸には「朝日新聞」のロゴが派手派手しく踊っている。疲れを押して行進を強要され、今にも倒れそうな高校生の写真が、明日の一面を飾るのだ。高校生は見世物か。朝日新聞社よ、どうしてもやりたいなら、選手に給与を支払え。児童・生徒を無賃労働させるな。

私欲にまみれた素人のオッサンどもの弁論よりも、朝日放送の解説を務めた星陵高校・山下監督の「最大の敵は、最高の友になる。ビッグな大人になってほしい」という簡潔な一言の方が、大きく心を打った。早稲田実業・駒大苫小牧の選手たちは、宿舎に帰って、あるいは地元に帰って、今日明日は見たくなくともいつの日かきっとビデオを見るだろう。そして、山下監督の一言に心を熱くするだろう。教育とは、人を評価することではなく、人を育成することなのである。

「教育の一環」というスローガンのもと、「教育」を曲解したがる大人の思惑に揺り動かされる高校野球。閉会式には、本音と建前が釣り合っていない高校野球の歪みが凝縮されている。来年こそ、この無意味な式典を撤廃して頂きたいものだ。

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