吉永正人調教師(元騎手)が死去
シンボリルドルフよりミスターシービーが好きだった。
苦労人・吉永正人、クセ馬に教えた後方待機、しかし前には馬群の壁、淀の下り掟破りの早仕掛け、ミスターシービーの三冠街道は高く険しいものだった。1年後、名手・岡部幸雄のシンボリルドルフが現れ、危なげなく完璧なレース運びで三冠馬になった。
シンボリルドルフとミスターシービー、奇しくも同じ世代に出現した二頭の三冠馬。直接対決はルドルフが圧勝、シービーは一度も先着することができなかった。種馬になっても、いきなりトウカイテイオーという後継馬を出したルドルフに対して、シービーはついにこれといった後継馬を出さないまま終わった。
でも、私はミスターシービーが好きだ。あの年、一番強かったのはこの馬なのだ。ミスターシービーも三冠馬なのだ。
ミスターシービーの主戦騎手、吉永正人調教師が死去
11日午前0時51分、83年のクラシック三冠馬ミスターシービーの主戦騎手で、現調教師の吉永正人氏が、胃ガンのため亡くなった。64歳だった。通夜は13日午後6時から、茨城県稲敷郡美浦村大字美駒2500-2、美浦トレーニングセンター厚生会館本館で、告別式は14日正午から同所で行われる。
同調教師は1961年に松山吉三郎厩舎からデビュー。モンテプリンスで82年天皇賞・春、宝塚記念を制すると、83年にはミスターシービーを史上3頭目となるクラシック三冠馬に導く。84年にモンテファストで天皇賞・春、ミスターシービーで天皇賞・秋(共にGI)で天皇賞・春秋連覇を達成するなど通算2753戦461勝(重賞37勝)の成績を残し、86年に騎手を引退。松山吉三郎厩舎の調教助手を経て、89年に調教師免許を取得。98年中山大障害・秋を制したビクトリーアップなどを管理し、通算3586戦199勝(重賞1勝)という成績を残した。長男はJRAの吉永護騎手(32、美浦・フリー)。
なお、今年のひまわり賞(2歳OP)を制したコウセイカズコをはじめとした同厩舎所属馬35頭は、12日付で美浦・松山康久厩舎に転厩する。
1年前の今ごろは、銅像を建てるわ、気球を飛ばすわ、CMを打つわ、ディープインパクトを持ち上げまくったJRA。ところが1年後、同じく春の二冠を完勝して秋を迎えたメイショウサムソンに、そんなもてなしは1つもない。むしろ「ディープフィーバーに水を差すな」と邪険に扱われているような気さえする。
リーディングブリーダーに生産され、リーディングオーナーに購買され、リーディングトレーナーに調教され、リーディングジョッキーが騎乗するディープインパクト。個人経営の牧場に産まれ、経歴は長く持ち馬の数も多いがなかなか大レースに縁のない馬主に買われ、もうすぐ定年を迎える調教師が引き取り、デビューから20年間GⅠレースに一度も勝ったことのないベテラン騎手が跨るメイショウサムソン。
寺山修司がいうように「人生が競馬の比喩」だとするなら、私はミスターシービーやメイショウサムソンの方に共感を覚える。ハイセイコーやオグリキャップやメイセイオペラやコスモバルクが人気を集めるのは、彼らの出自が決して貴族階級ではなく、労働者階級のルサンチマンを投影できる存在だったからなのだ。
私には、ディープインパクトに共感するところは1つもない。あらかじめ敷かれたレールの上を走るだけのエリートなんて、全く面白くない存在だ。大体、今の日本で、あの馬に共感できるくらい贅沢の高みにいる人間は、1億数千万人のうちほんの数%だろう。ディープインパクトなんか大嫌いだ。凱旋門賞でコテンパンに負けやがれ。
速い馬に上手い騎手が跨って強い競馬をする。それも競馬だ。しかし、競馬はそれだけじゃない。競馬は色んな馬がいるから面白い。色んな騎手がいるから面白い。ミスターシービーと吉永正人のコンビは、それを教えてくれた。












