NHKアーカイブス「特命試走車」

自動車産業は、日本が世界に誇る分野の一つである。大戦によりドン底まで落ちた我が国の経済がめざましい勢いで復興した、その主なる原動力でもある。だが、こと日本において、自動車は産業の域を脱していない。少しづつ理解が広まってきたことはたしかであるけれども、産業の枠組みの向こう側にあるはずの文化と呼べる領域にはまだまだ遠く果てしない。我が国は、自動車の定義を訊ねる街頭アンケートで7割以上の人が「移動手段」と答えた特異な国である。その答えがいかに浮いているか、それさえも分からない国なのである。

なぜ、そうなったのか。1964年に放送された「特命試走車」に、その糸口を見いだすことができた。

番組の細かい内容はさておくとして、大まかな構成は次の通りである。

技術革新と販売促進のため、国内にあった11の自動車メーカーは、国内外のレースに次々と新型車・新型エンジンを送り込んでいた。レースでの勝利すれば、その車の販売台数が何倍にも膨らむ。一方で、レースでの敗北は、そのメーカーが市場から淘汰されることを意味する。各メーカーは、巨費を投じてレースにのめりこんだ。

運転するのは人間だ。優秀なテストドライバーがいなければ、せっかく作った試作車は走らない。まだ、現在のように、「モータースポーツ」などという言葉も知られていない我が国に、プロのレーシングドライバーなどほとんどいない。自動車会社の社員ですら、自動車の運転免許を持っている者が20%にも満たない時代である。各メーカーは、社員の中からテストドライバーを選抜し、試作車を走らせた。

レースとは競争(競走)であるから、中途半端な物作りでは勝てない。最先端の技術が求められる。それだけにとどまらず、未開拓の分野をどれだけ先取りするかで勝敗が決まる。これだと見切って踏み込んだ領域でも、実走行において有意性が認められなければ、その技術はお蔵入りになる。1つの成功作に至るまで、その何十倍、何百倍の失敗作が生産され、その都度、解体されていく。昔も今も変わらない、レースの世界では、ごく当たり前の光景である。

NHKは、この番組について、「テストドライバー」という聞き慣れない職業に焦点を当てる番組として紹介している。しかし、この番組は、「名神高速道路の最高速度が時速100キロだというのに、時速200キロ以上で走るレース用自動車を開発することに何の意味があるのだろうか。(スクラップとして解体される試作エンジンを撮らえながら)このレース用エンジンが、私たちの日常生活に必要なのだろうか」という形で、趣旨とは全く違うところで締めくくられている。

まるで、レース用の技術開発は単なる資源の無駄遣いであると言わん勢いである。

実際のところはどうなのかといえば、時速200キロで走る高速車両は決して資源の無駄遣いではない。たとえば寿命が10000キロの高回転・高出力のレース用エンジンがあったとする。このエンジンはレースでは10000キロしか使えない。オーバーホールしないとただの鉄の塊だ。だが、このレース用エンジンは、出力を落として使用すると一般に流通しているエンジンより高性能・長寿命のエンジンになる。回転数を10分の1に落とすだけで寿命は10倍になる。ブロックの肉厚を増して、燃料系統、冷却系統も耐久性を重視したものに強化すると、寿命はさらに伸びる。

耐久レースを走り抜いたエンジンは、レース用エンジンとしてはたかだか24時間かそこらで壊れてしまうエンジンだが、このエンジンの機構をそのまま転用した市販車用エンジンを製品化すれば、他のどのエンジンより頑丈なエンジンができ上がる。車体についても同様で、衝撃の吸収や緩和に優れかつ捻れに強いフレーム構成、凸凹を苦にしないサスペンション、長持ちするタイヤ、万が一の急ブレーキ、自動車の全て分野において、レースという極限で確立された技術が応用されている。むしろ、レースという過酷な試験を課さずに、研究所の中で同等の性能を導き出そうとすると、それこそどっちが資源の無駄遣いになるか、答えは非を見るより明らかだ。

番組は1964年(昭和39年)に放送されたものであったが、技術的理論の多くが確立されておらず、コンピューティングシミュレーションなどというものも存在しない1960年代において、レースが果たした「走る実験室」としての功績は、現在のそれ以上に多大である。それを、我が国のメディアや政治家は「資源の無駄遣い」で片付けてしまった。自動車レースは、あたかも“暴走族の延長線上”のものと定義されてきた。

いみじくも1964年といえば、ホンダがF1レース活動を開始した年である。この番組の10数年後。日本で初めてF1レースが行われる。立ち入り禁止区域に侵入した心ないファンが、コースアウトしたマシンにはねられて死傷。時代は折しもオイルショック、朝日新聞をはじめとするマスコミ各社は、事故の原因などロクに調査も検証もせず、いたずらに「資源問題」と「暴走族問題」を引き合いに出す無茶苦茶な論戦を張った。そして、それから10年間、日本でF1レースが開かれることはなくなってしまった。自動車レースが暴走族の延長線上にあるかの如き風評は、今もなおこの社会に根深くくすぶっている。その証拠に、この国で自動車レースがニュースになるのは、事故が起きたときだけである。

不幸中の幸いは、これだけ無理解な世論に負けることなく、技術革新を続け、世界一の自動車工業国になるまで躍進した日本の自動車メーカーである。やり方のえげつなさはともかく、日本の自動車メーカーは世界に冠たる自動車レースを数々制覇した。そして販売台数・輸出台数もうなぎのぼり、「メイドインジャパン」は世界に通用するブランドになった。産業としては一流になったのである。だが、文化にはならなかった。

これだけ多くの自動車を世界に送り出しているのに、日本には真の“スポーツカー”がまだほとんど無い。作ったところで、曲解がまかり通るこの国ではなかなか売りさばけないからだ。かわりに日本の自動車メーカーがやることといえば、不良少年向けに張りぼて程度の改造を施した車を販売すること。広告の中にはあたかも「公道でスポーツしろ」とけしかけているように読めるものさえある。

レースと暴走族の違いが分からない人たちも、燃費2キロのスポーツカーと燃費15キロの暴走族の違いは分かるようで、表面上の数字だけをかいつまんで暴走族に軍配を上げるのが我が国の風潮なのだ。ギリシアの哲学者ではないが、世の中に無知以上の害悪はない。自動車メーカーも商売なので、売れるものを作る。スポーツカーを作らずに、子供だましの張りぼて自動車を作るのは、そっちを作った方が売れるからである。

文化のない産業。外国に行けば、「日本の車は『売れる車』ばかりで、『楽しい車』がない」と揶揄されている。免許を取得や更新に行くと、日本ではまずはじめにビデオを見せて「交通事故の悲惨さ」を教えるが、欧米でははじめに「Driving Pleasure(運転する楽しみ)」を教えている。こんなところにも、価値観の違いでは埋まらない文化としての未熟さがあると言わざるを得ない。

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