そんなに死にたきゃ最期くらい他人に迷惑かけず死ね
「自殺」っちゅうのは、読んで字の如く「自分を殺すこと」。自殺は立派な人殺しや。たいそうな予告文を送りつけても、えらそうな遺書を仕上げても、自殺も他殺も人殺しであることに変わりはない。
そら、死ぬ人間は気楽でええわ。あとのこと何も考えんと、短絡的に自分を殺せばええんやからな。せやけど、ガキの一匹や二匹、死んだところで、世の中の大勢にとっちゃ痛くも痒くもないんや。いや、他人の命を奪う前に自分からすすんで死んでくれるなんて、将来の犯罪が抑止できて社会は万々歳や。
なんぼ言い訳したところで、自らの命を断つ、親より先に逝ってしまう親不孝者の命なんて、しょせんその程度のもんなんや。自分が大切にしない自分を、他人が大切にしてくれるなんて思うな。
人生は嬉しいこと、楽しいことばかりじゃない。挫折して「死のう」と思うことは誰にでもある。それでも多くの人間は死なずに生きている。死んでもなにも解決しないからだ。死ぬほどの根性があれば、生きていた方が絶対にマシだからだ。
生きることができるのに生きようとしなかった人間が、なんぼたいそうな遺言を残したところで、そんなものに何の値打ちがあるか。死んで惜しまれる人間になりたければ、生きるしかない。
学校なんて楽しい場所じゃない。凹むたびに死んでたら命なんか幾つあっても足りん。死ぬほどいやなら行くな。サボっても死なん。金が尽きても、食い物が無うても、恋に破れても、草の根かじったら生きていける。生きる方法なんか、いくらでもあるんや。要は生きようとするかどうかや。
それでも「どうしても死にたい」とほざく大馬鹿者は、せめて最期くらい人の迷惑にならない死に方を見つけてから死ね。死んだあとまで人様の手を煩わすな。
自分より弱いもんをいじめる。人として最低や。せやけど、ならず者の思い通りにされて悔しいおもた人間は、石にかじりついてでも生きとるんじゃ。いじめられたからといって自分を殺すような人間は、いじめる人間より悪質や。てっとり早い理由を見繕うて、結局逃げとるだけや。
いじめる人間を庇う気も、いじめられた人間を責める気もない。ただ、死んだら勝ちみたいな風潮は、わがままな自殺者を量産するだけや。教育やというなら、親も学校も「自分を殺すのも立派な殺人」と基本中の基本をキッパリ叩き込め。死に損ないは殺人罪で刑務所にブチ込んだれ。
いじめられたからと自分を殺すのも、むしゃくしゃしたからと他人を殺すのも、殺しは殺しや。自殺は立派な殺人や。あと片付けする人間にも迷惑なんや。自殺に正義なんて微塵たりとも無いんやで。
誰もが悩みを抱えてる。世の中には、生きたくても生きられん奴も五万とおる。こんなこと書いてる俺だって、いじめじゃないけど、死にたいと思ったことは一度や二度のことではない。それでもこうやって生きてる。皆、生きることに精一杯や。
生きとる人間に向かって、死ぬとかほざくアホども、死んでからモノぬかしやがれ。お前は、死んでモノがいえるのか。人間ならオツム使え、このドアホどもめ。













コメント
まったく正論だ。
投稿者: 町民 | 2006年11月24日 11:34