ばんえい競馬の存廃問題について…
正直、「廃止」とかなんとか、そういう暗い話題は聞きたくありません。聞こえてきても聞こえないフリをしたいです。そうはいかないから、これから色々書いていくんですけど、暗い話題には近寄りたくないというのが本音です。
そもそも公営競技である以上、存置に足る合理的な理由なんて一つしかなく、それは「地方財政に資すること」です。報道ステーションの特集でやっていたような「伝統があるから」とか「馬が肉になっちゃうから」とか、感情論で訴えてどうにかなる問題じゃありません。
ばんえい競馬が廃止されようが存続されようが、ばん馬として生産された馬の大半はいずれ肉になります。そもそもセリ会場では、調教師と食肉業者がセリあっているのが現実です。最近は賞金も落ちてきたので、調教師(馬主)に購買力がなく、デビュー前に肉屋に買われる馬が増えています。競走馬にしたほうが高く売れるなんていうのは、賞金が高かった時代の話です。存続するだけでは生産者は救われません。片手落ちの感情論は偽善ですからやめといた方がいいです。
ちなみに、ばんえいの競馬場の横にも馬肉を出している食堂があります。廃用になったばん馬を食す、これを残酷というなかれ。タンパク質と脂肪なくして人間は生きられんのです。嫌いな人に無理して食えとは言いませんが、食わず嫌いの人は供養と思って一度食べてみましょう。馬肉はおいしいですよ。
もとい、理想とか本分とかそういうものは抜きにして、現実に、日本の競馬は馬券の売上で成り立っています。JRAが必死になって、競馬がスポーツであるかのように吹聴していますが、大間違いです。競馬は、野球やサッカーと違って、入場料やグッズ販売の収益で成り立つものではありません。
要は、馬券が売れればいいわけです。馬券が売れていたら存廃議論なんて起きっこないのです。馬券を買う人がいないから、こういう結末になるのです。
生産者がどうのこうのといったところで、生産者が馬を高値で売りさばけるのは、馬が高い賞金をくわえることができるおかげ。馬が勝つと出る生産者賞も、元の元を辿れば馬券の売上です。馬を育成する商売、馬を調教する商売、馬を食用加工する商売、全て馬券の売り上げなくして成り立ちません。
日本の競馬はスポーツではありません。たかがギャンブルです。監督官庁が違うから、国営と公営は違うからと、1つの国の中に2つの競馬があって、国内の「もう1つの競馬」は外国より遠くにある。スポーツの基本、参加者が公平な条件で競い合うという観念が全くない。それが日本の競馬です。
廃止してほしくないと思う人は、ゴチャゴチャ言う前に、まず馬券を買いましょう。
ちなみに、地方競馬の馬券がなぜ売れないかというと、ここには国営(JRA)と公営(NAR)の差がありまして、国営は日本全国で馬券を売ることができるけど、公営は原則として公営の枠の中でしか馬券を売ることができないという法律の縛りがあるためです。
法律の縛りがあるのは、JRAが農林水産省、NARが通商産業省と監督官庁が違い、色々と利権争いが起きるからで、最終的には縦割り行政の弊害という結論に行き着くのです。今でこそ法の改正と解釈で広域場外発売やJRA場外での発売、ネットでの発売と手段が多様化しているものの、それはそれでまた主催者間のシステムを統合しなきゃいけないとか、手数料の比率をどうするかとか、金も時間もかかる問題なので、結局小規模な競馬場が割りを食う構造なのです。
中央競馬の売上は国庫に行きますが、地方競馬の売上は主催した自治体の公庫に行きます。北海道営競馬の馬券を買うと、北海道の収入です。ばんえい競馬を開催している門別、北見、帯広、岩見沢などの市営競馬を買うと、4市で構成する競馬組合を経由してそれぞれの市町村の収入になります。金沢競馬場では、市営の週と県営の週があります。関西の人は、園田競馬の馬券を買うと兵庫県の収入になります。あなたが将来行く老人ホームの原資になるかもしれません。
「たばこは市内で買いましょう」と書かれた宣伝ポスターやステッカーを目にしたことのある人は多いと思いますが、あれと同じです。競艇や競輪も、こちらは少し仕組みが違うのですが、最終的には主催者の自治体にお金が行くことになります。例外はパチンコで、あれはどこの自治体にも大した金が入りません。それどころか税金をちょろまかして北朝鮮に送金している始末です。
パチンコする奴は非国民です。「パチンコは30兆円産業」などといわれていますが、恥ずかしいことです。パチンコに30兆円も注ぎ込む非国民が改心するだけで、ばんえい競馬はもちろん地方競馬にバラ色の未来が開けます。ばんえい競馬のためじゃなくてもいいから、地域の暮らしをよくするため地方競馬の馬券を買いなさい。
さて、少額ながらコツコツと継続的に馬券を買っている、馬肉を食うことにも抵抗がない、非ロマン派の観点から、ばんえい競馬を含む全国の公営競馬の存廃問題をブッてみたいと思います。
まず「赤字」についてです。赤字、赤字といいますが、赤字にも色々あります。たとえば、ばんえい競馬はこの8年間ほど赤字が続いています。ばんえい競馬の60年になんなんとする長い歴史を振り返ってみますと、「草競馬」として開催されていた時期を省き、多くの年度で黒字を計上しています。ばんえい競馬の過去の売上、つまり地方財政への貢献額の前では、赤字40億円なんて「たかが40億円」です。
過去の売上は、どこへ消えたんでしょうか。老朽化した競馬場、主に若年層へのPR不足などなど、競馬の利益が競馬の繁栄のために再投資された経緯は全くといっていいほど見られません。競馬に限らず、どんなに景気のいい産業でも、売上を維持するための、いや売上をさらに伸ばすための投資がなければ、発展どころか衰退の道を歩むのは明らかです。
地方競馬ファンにとって、廃止の日、挨拶に出てきた知事に市長に罵声が飛ぶ光景は見慣れたものとなってしまった感があります。誰も責任を取りません。競馬場が廃止されてしまえば、やがてみんな忘れていくものと思われています。罵声の中に出てくる奴らはかわいい方で、先日の北見の最終日なんて、廃止が本決まりになったのは開催終了後というやり口です。逃げる奴らには、逃げる理由があります。そこにやましさがあります。
世界で唯一、北海道にしかない競馬。もちろん馬券の売上が芳しくないから潰れるのですが、視点を変えれば観光資源でもあります。競馬が旅行の動機でなくとも、旅行の楽しみの1つとして競馬を組み入れる人は決して少なくありません。競馬場が無くなれば、ばんえい競馬を目当てに訪れた人が地域に落とすお金も無くなります。競馬に替わる新しい観光資源もそう簡単には見つからないでしょう。
60年も続けてきた競馬が、たった8年、わずか40億の赤字のために潰されます。自治体の要求するノルマのため、基金の供出に応じ、賞金の減額にも従い、切りつめるところまで切りつめた関係者の手元には、もう何も残っていません。実質的に自治体と雇用関係にある関係者(騎手、調教師、厩務員はじめ競馬場の従業員など)に対しては、一定の補償が必要になります。過疎の地方で、関係者の今後の雇用が創出できるのかという問題もあります。
廃止のあとに待ち受ける課題、これらは最終的に自治体の負担になります。競馬の存続に公金を投入する必要性はないにせよ、廃止に伴う支出をかんがみたとき、廃止という選択肢が必ずしも公庫にとって得策と言い切ることはできません。
競馬の開催でこれまでいくら儲けたのか?
競馬の収益をどのような用途にどれくらい使ってきたのか?
競馬の収益を継続させるためにどんな投資をしてきたのか?
競馬に従事し地域に貢献した人たちになにをしてやったか?
公営競馬の特性上、赤字経営は許されないということは誰もが分かっています。廃止が解決策の一つであることは理解しています。が、そんな公営競馬、地域の財政に直結する問題だけに、赤字に転落した原因の特定と責任の明確化が必要です。それがなければ、単に赤字の事業を自治体から切り離しただけで、赤字を看過したのと同じです。競馬従事者たちも市民ですから、何の責任もない人たちに責任を押し付けることが解決というのでは、市民の理解を得るにふさわしい結論と言えません。
公営競馬の利益は、原則として自治体(都道府県・市町村)に入ります。年間いくらと決まっているのではなく、儲かった分だけその収益がお上に巻き上げられます。
園田競馬の例を挙げますと、儲けの多く出た年のみ、わずかながら関係者にも還元があり、関係者はそれを「基金」として積み立てます。しかし、この基金にはカラクリがあって、儲けが出なかった年には、落ちた売上の補填分として自治体に召し上げられます。関係者へのご褒美というよりは、自治体にとっての保険金のような性質のお金です。上納金に定価はないのにノルマだけはしっかりあるということが、既に廃止になった競馬場も含め、全国の地方競馬場の杜撰な経営の実態であり、病巣です。
それでも関係者は、この基金をやりくりして、競馬への再投資をしない自治体に代わって、競馬場の施設改善やファンサービスのイベントなどを行ってきました。しかし、売上が落ちてくると、自治体は補填金として基金の供出を要求しますから、この数年で、園田競馬の基金はあっという間に底を付くところまでやってきました。
基金の残高がなければ、自治体にとっては、競馬開催が黒字であっても競馬場に課したノルマを回収する術がなくなることになります。こうなると、自治体が借金をする際に、競馬の収益を担保にすることもできなくなります。なけなしの基金を搾り取られた競馬場は、施設を改修することもままなりません。関係者がやむを得ず賞金削減に同意すると、入厩する馬の質も量も低下して、ファン離れはさらに加速することになります。売り上げが落ちてきたところに、さらにファンサービスに手が回せないということになるのですから、経営状態は加速度的にどん底へ向かうことになります。
公営競技の性質上、赤字だから廃止という論理は極めて正当なものですが、赤字に転落する原因は何だったのかという問題を考えていくと、これはひとえに競馬場を経営してきた自治体の傲慢と怠慢によるものであるという結論が回避できません。
地方競馬が廃れたのは、間違っても、競馬に従事してきた人々の責任ではないのです。競馬に携わって生きてきた人々は、競馬場の経営に直接口を出す立場になく、むしろ競馬場が繁盛していた頃は、主催者であり経営者である自治体に大きく貢献してきたのです。
戦後、競馬を開催してきた自治体は、競馬の売上で、上下水道を整備し、植林して公園を造成し、学校やら老人ホームやら公共施設を建設してきました。公営競馬は、今でこそ行政のお荷物かもしれませんが、サービスを享受した地域住民に大きく貢献してきたのです。また、その貢献額は、昨今取り沙汰される赤字額を大きく上回るものでした。
我が国には「賭博は全て違法。但し、国営・公営競技は例外とする。」という大原則があり、競馬、競輪、競艇、オートレースの4競技は、法律で認められた例外的存在として設営されています。近年、法令の改訂によって、馬券(舟券・車券)販売業務の民間委託が解禁されました。さりとて販売業務の委託、つまり屋号を民間に貸与できるようになっただけですから、民間参入というと経営体質に画期的な変化が起こるかのように勘違いする人も多いですが、ひきつづき経営の最終責任は公営競技をを主催する自治体にあります。
そもそも公営競技の衰退を招いた元凶は、無責任な役人を頂点とする経営のピラミッドなのですから、その構造を変えないまま、掛け声だけの民間参入を実現しても、それは無能な役人を延命し、売名目的で参入する民間企業を太らせるだけで終わり、公営競技が存在しうる最大にして唯一の条件=公庫への貢献を実現することは不可能です。
消えゆく公営競馬。私はできることなら存続させてほしいと思うから、馬券を買い続けるし、馬主にもなりました。でも、廃止はやぶさかではないと思っています。税金を投入してまで続ける道理はありません。園田競馬場が潰れることになっても、大きな声で反対を唱えることはしません。競馬場を窮地に追い込んだ主犯格に、改心もしていないうちから再生の機会を与えても、末路はやがて同じになるからです。
ただ、「廃止の仕方」については大いに問題にしたいと思っています。地域の競馬を盛り上げるため、何十年にわたって正に身を切るような思いで精進してきた競馬従事者たちに、責任をなすりつけるような廃止には納得できないからです。なぜ競馬場を潰すのか、なぜ競馬場を潰さねばならなくなったのか、経営者である自治体がその責任を認めなければなりません。存廃以前の問題として「誰の責任でこうなったのか」を突き詰めない限り、公営競技に関するあらゆる問題は1つも解決されません。
競馬組合の基金が底を付いた兵庫県では、来年からいよいよ、競馬の存廃に関する議論が本格化する見通しです。他の自治体と同じように、競馬に関する予備知識のない人たちによる「有識者会議」がはじまります。人気取りのために「赤字解消」を喧伝する議員も参戦してくるのでしょう。
廃止された中津、新潟、上山、足利、宇都宮、高崎、廃止されようとしている北海道ばんえい、廃止秒読み状態の笠松、名古屋、盛岡、これらの地区で行われた廃止に向けた議論のステップにはある共通点があります。有識者とは肩書きばかりの素人を集めて、「公営競馬とは何か?」、「中央と地方の違いとは?」、「収支改善のためにできることはあるか?」と、基礎中の基礎のような議論に時間を割いていくうちにタイムアップがおとずれ、「ややこしいから廃止にしてしまおう!」という結論になびくのです。
いま話題のタウンミーティングなんか目じゃない「出来レース」です。そして、むしり取るだけむしり取り、経営者の責任は棚上げになったまま、関係者だけが路頭に迷うのです。公務員の不祥事を指摘するのを生き甲斐としている人たちが、こと競馬の存廃問題になると公務員の肩を持つのだから、なんとも不思議なパラドックスです。
ちなみに、かつては大阪にも公営の競馬場がありました。有名なのは春木競馬場でしょうか。その他にも八尾にも競馬場があったそうです。競馬場の所在地が「ヤオ」というのは、いかにも大阪らしいエッセンスが利いています。現在は陸上競技場になっている長居公園には、大阪競馬場がありました。
園田・姫路競馬の場内実況アナウンサー、「神」の愛称で尊崇されている吉田勝彦さんは、兵庫県の専属になる前、大阪の競馬場の場内実況を担当していたそうです。JRAの元騎手、現調教師の河内洋さんの父上様は春木で調教師をやっていたそうです。
大阪から地方競馬が消えたのは、他の公営競技との競争に敗れたためとされています。なにしろ、競艇、競輪、競馬、いわゆる「3競」を同じ場所で同じ時間帯に併催していたというのです。いくら儲かるからといっても、お客さんの財布の中身は限りがありますから無茶というしかありません。
東京のように、分別ある形で公営競技の共存共栄を図ることができていたならば、大阪競馬場は今日まで生き残っていたかもしれません。大阪と兵庫の馬が激突する「なにわダービー」とか、見てみたかったものです。
ギャンブルのイメージが非常に悪い時代背景もあり、競馬場の存在が地域住民の理解を得られなかったという理由もあったようです。どっちかといえば、こっちの要素が大きかったのではないかと、個人的には思います。園田競馬場もその点ではかなり苦労した(苦労している)そうですから。
ところで、春木競馬場は、廃止が決まったあと、なんとか地域住民の理解を得て「補償競馬」を実施したそうです。補償競馬の売上は、競馬関連の負債の償却と関係者に対する補償金の捻出に充てるというものです。当初の予定以上の額を売上げたそうです。やはり廃止は、売上とは別のところに要因があったような気がしてくるエピソードです。
大阪競馬をはじめ、これまでに廃止された全国の地方競馬場についてもっと色々と知りたい人は、
という本を読んでみて下さい。地方競馬ファンはもちろん、地理好き、旅行好き、歴史好きの人も満足できる一冊です。
悔しいです。潰れるのが悔しいんじゃないんです。潰され方が理不尽だから悔しいんです。腹が立つという感情はありません。
北見の市長も、廃止なら廃止、責任取らないなら取らないでも、関係者の長年の労をねぎらう姿勢くらいは見せて欲しかったものです。いくら美辞麗句の挨拶をしても、言ってることとやってることのギャップが大きすぎます。「補償競馬」はともかく、せめて「最終オーラス」の告知くらいはできたはずです。
いち地方競馬ファンとして、最後の日まで少額でも馬券を買い続けようと思います。
関西にいてもネットで買えますし、園田競馬場でも広域場外発売の開始を計画していますので、馬券を買う手段はあります。ただ、関西じゃ、あまりに情報が少ない。買おうと思っても「分からないから買わない」という人、多いんじゃないかなぁ。大井の「ふるさとコーナー」でも、新聞の取り合いになるって話ですし。
未開拓の客がいるというのは、私に言わせりゃ“ビジネスチャンス”なんやけど…。













