灰になるまで戦ったジョーの、あしたはどっちだ!?
火曜日から5夜連続で、 『BSアニメ夜話スペシャル とことん!あしたのジョー』 を見た。
原作が故・梶原一騎氏ということで、「どーせ巨人の星と同じようなもんだろう」とばっかり思っていた私が、ジョーにハマったのは、かれこれ10年ほど前のことだ。大学時代、野球部で一番仲の良かった友人が「あしたのジョー」の大ファンで、そいつの部屋へ行ってはマンガを借りてきて読みふけった。
と、いっても、マンガなどというものに興味を全く持たない性分であり、全て読み尽くしたというには程遠く、なんとなくストーリーだけ知っておいたという程度だった。5~6年前に、CSで全話放送があり、ちょくちょく見た記憶はあるが、何しろ月に数話のペースだったので、見忘れたりするうちに飽き性が出た。
そして今回。1週間で一気にやってくれたので、ついに完走することができた。(最後の最後、洋子の告白シーンの前後で、集中豪雨のためBSの受信状態が最悪、画像ノイズ・音声プツプツになったけどなんとか乗り切った)
アニメオタクではないので専門的なことや技術的なことは知らないが、この作品の、物語としての面白さは、人によって、生育環境によって、世代によって、見方がいくつも成り立つところにあるのだと思う。「あしたのジョー」に描かれる世界観には、白か黒か、善か悪か、光か闇か、男か女かといったありがちな二元論が通用しない。仏教における無常観そのものである。
戦いに明け暮れるジョーを紀子が問いただすシーン。ジョーは「燃えかすなんて残りやしねー。真っ白な灰だけが残るんだ」と答える。紀子はジョーをあきらめる。フッたわけでもフラれたわけでもない。何にもないのである。結婚をし、家庭を持つ。そのありふれた幸せは、ジョーの求めるものではなかった。ただ、それだけなのである。今回放送された劇場版にはないが、西と紀子の結婚式で「せいぜい幸せになりやがれ」とスピーチするジョーに、紀子が伏し目がちの冷たい視線を送るというカットがある。それはかつて少年院に送られていくジョーに葉子が浴びせた視線に近い。
世界タイトル戦を前に、ジョーがパンチドランカーであるという事実を告げ、愛の告白という手段で試合の中止を求める葉子を、「リングの上で、世界一の男が俺の挑戦を待ってる。行かなきゃな」と振り切るジョー。ホセ・メンドーサとの、文字通り死力を尽くした戦い。葉子は、打ちのめされるジョーに目を背け、一度は会場を飛び出す。だが、カーラジオからきこえるリングサイドの大歓声に、再び試合会場へ戻る。打たれ続けるジョー。段平が投げ込もうとするタオルを奪ったジョーはリングの外へ投げる。タオルは葉子の前に落ちる。段平からタオルを拾ってくれと頼まれた葉子、しかし彼女はこのタオルを段平に渡さない。
殺人パンチで廃人を量産してきたホセ・メンドーサとの戦いの先に待ち受けるものは・・・。丹下のオッチャンが、憎きあんちくしょうの力石が、ボクサーとして再起するきっかけとなったカーロスがそうであるように・・・。この際、勝ち負けなど問題ではない。だが、ジョーを止められるものは誰もいなかった。ジョーという存在に出会った瞬間から、そこにいる全ての人物の人生が変わっていった。いま、ジョーという存在をも失うかもしれないその瞬間においても、ジョーを止めることはできなかった。
試合は判定にもつれこみ、ジョーは敗れた。リングサイドの椅子に座り、血に染まったグローブを葉子に手渡したジョーは、目を閉じて恍惚とうなだれる。そのまま物語は終わる。ジョーは白い灰になって死んでしまったのか。それとも生きているのか。多くのボクサーを葬った殺人パンチを大量に浴びたジョーのこと、生きながらえたとしても、もうリングには立てないかもしれない。結論がないまま、我々に問いかけるように、物語は完結する。
確たるところは、ホセと戦いの最中にジョーの肉体は燃え尽きていること。しかし、まだ燃え尽きぬ心が、ジョーを15ラウンドまで奮い立たせたということ。ジョーが死んでいたとしても、それはありふれた不完全燃焼の死そのものであり、全て灰になることを欲したジョーにとっては無常の死に様である。ジョーが生きていたとしても、それは血の臭いのしない退屈な生であり、ジョー自身が実感することのない無常の生である。いかなる強者も生と死を自らの意志で選択することはできない。
ジョーの生き様は、決して正しいそれではない。だが、間違っているかといえば、そうでもない。ジョーは戦いに飢えていた。戦いの先に壮絶な死が待ち受けていたとしても、その戦いを止めたところで待ち受けるものもまた飢え死にの事実だったのだ。人はいつか必ず死んでいく。死を望むと望まざると、必ず死んでいくのである。
「あしたのジョー」という作品が、我々に問うたものは何か。時代背景という人もあれば、階級闘争という人もある。私は、無常観を通して、「命」そのものを描き出した作品だったと思う。燃え尽きて死ぬことのできる人間がどれほどいるだろうか。生きているのか、死んでいるのか、それを問い続けながら悶々と過ごす日々もまた無常なのだ。
後記
ジョーのその後には、オタク的な視点、文学的な視点など諸説あるという。梶原氏の原作では廃人化したジョーが葉子と余生を過ごすことになっているともいわれる。敢えてリングサイドで物語を完結するように提案したのは、漫画を描いたちばてつや氏だともいわれている。












