6.13
日常、「6月」という言葉を耳にするたびに、「13日」という言葉を補完してしまう。
2004年6月13日。日曜の早起き。陽が昇らないうちから蒸し蒸しと寝苦しかった。一階まで新聞を取りに行く。それは一種の死亡宣告でもあったが、一方では闘争の幕開けでもあった。7月、8月、9月、しかし実りのないまま長い夏は終わった。満足な治療すらしてもらえず、告知されたとおりに死んでしまった。「6月13日」は筆舌に堪えがたい理不尽のはじまりの日として忘れられない日付として脳裏に刻み込まれていた。
2つの球団が無くなったあとには、合併球団という得体の知れない怪獣が残された。宮内義彦とかいう金貸しの成り上がりは「合併でファンも2倍になる」と豪語していたが、いかがなものか。あれから3年目、かろうじて大ボラに踊らされた可哀想な人たちが、あたかも何かの罰ゲームのように合併球団のファンを称している程度である。
近鉄色のコスチュームでオリックスを応援している人たちを見ると、変な気持ちがする。それは不快とかそういった類の気持ちではない。唖然とするというか、何が何なのか理解できない。不可思議なのである。そこにいる彼らには彼らなりの何かしらの意志と動機があるはずなのだが、私の感性では想像するに至らない。こういった光景を疑問に思う私がおかしいのだろうか。
プロ野球は相変わらずデタラメである。2004年以降もデタラメの勢いは変わらない。私の時計が止まっているせいもあるだろうが、むしろそれ以前にも増してデタラメが加速しているような印象さえ受ける。
デタラメに直面したとき、もっと大きなデタラメを持ってきて、小さなデタラメを覆い隠す。そのデタラメを隠すために、また大きなデタラメを被せる。これがプロ野球の悪しき構造である。デタラメの上にデタラメを重ね続けたプロ野球。3年経っても何も変わっていない。これからも変わらない。土台よりも話題が優先。その日暮らしの女々しさよ。
頂点がデタラメなのだから、そこに至る道程もデタラメである。オリンピックにしてもそう、WBCにしてもそう、ベビーカーから墓場まで、野球と称するものはデタラメの共通項で1つに結びつく。裏金問題の一つもロクに解決できない。球団合併に反対する声が、いつの間にか1リーグ制への反対であるとすり替えられてしまったのと同じように、裏金問題は奨学生・特待生の問題へと変質、「貧乏人は野球するな」と言わんばかりである。話題作りが第一の野球界に、メディアのミスリードを正すなんて出来っこないし、期待している人がいるならそいつはただのバカだ。
あれから3年。目先の話題作りは幾つかあったが、プロ野球のその本質的なところは何も変わっていない。何も変わらなかった。何も変えようとしなかった。プロ野球を牛耳る者が守るべきは既得権益であり、彼らが求める「ファン」とは、パンドラの箱をブラ下げても開けようとさえしない従順な「ペット」のことだった。
不可思議な感覚の答えを探してみたくなった3年目の6月13日。野球界は、現代に於いてなお全体主義の実現を信じて活動している奇妙奇天烈なコミュニティに他ならない。野球ファンであり続けるには、独裁者に万歳を繰り返すしかないのである。それを受け入れられないものは消されていく。あれはファシズムに狂喜乱舞する集団なのだと思えば、もうなんてことない。
「おかしいものはおかしい」、「おかしいものをおかしいと言えないのがおかしい」というけれど、そんな声を駆逐して成り立っているのがプロ野球なのである。プロ野球は「おかしいものをおかしいと思わない」ようにする人たちに支えられ、「おかしいものは見て見ぬふり」できる人たちを潤すために存在しているのだ。これに3年間も気付かなかった私がアホだった。
土台作りよりも話題作りを優先させるプロ野球。もしも貴方がこれからも野球ファンであり続けたいならば、プロ野球に疑問を持ってはいけない。疑問を持った瞬間、あなたはプロ野球が嫌いになる。なぜなら、興味を持つという行為がそんなプロ野球をさらに増長させてしまうパラドックスに気が付いてしまうからだ。これに20年以上も気付かなかった私がアホだった。
球団合併にしても、あの6月13日の失望なんて、それ以後の数々の失望に思いを致せば、大したものではない。2球団の死そのものよりも、その死が無駄死にだったことに憤りたいが、その憤りさえデタラメの上にデタラメを重ねるプロ野球界の思いの壺なのである。大体、たかがプロ野球である。自分でプレーするならまだしも、他人のプレーを見るだけじゃないか。見物料を取られて、親会社の懐が潤うだけなんだよ。市井の凡人が夢だの希望だの投影できると勘違いしちゃいけなかったのだ。
3年目の6月13日。2球団の消滅を機にプロ野球に何らかの改革を期待した私が間違っていた。今日を境に、私はプロ野球にはもう何も期待しない。見ない、買わない、行かない、そして期待しない。話題作りの歯車にはなりたくないし、全体主義の駒にもなりたくない。













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