『週刊エフ』 、よくぞやってくれました。
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私自身はメディアの中の人間じゃないから、いわゆる“ギョーカイ”の中の人の事情なんてものは知りません。ただ、まだテレビ中継も満足にやっていない時代から雑誌等の活字媒体でモータースポーツに触れてきたわけで、うすうすと感じることは幾つかあります。ここでは関係ないので多くは語りませんが、そういうものが積み重なって、私のこのメディアアンチな人格の形成に一役買ってきたのかもしれません。
さて本題。前述の「うすうす感じること」の1つに、日本のモータースポーツ、特にF1を題材とする活字メディアでは、フジテレビを批判することがタブーになっているのではないかというものがあります。
1987年にフジテレビがF1全戦中継を開始し、90年代初頭にかけて“F1ブーム”が起こりました。今では考えられないことですが、ゴールデンタイムに放映された日本GPの視聴率が、NHKの大河ドラマに勝っちゃった。この頃は猫も杓子もF1とでもいいましょうか、数え切れないほどの専門誌が刊行され、一般誌にもF1コーナーが設けられたものです。
専門誌が売れるには、そのジャンルに関心を持つ人が必要です。猫も杓子もF1に浮かれたあの時代を語るまでもなく、つまるところ、F1雑誌の発行部数はテレビ中継の視聴率に依存しているわけです。ブームが過ぎ去り、溢れかえっていた専門誌の淘汰が進む中で、いつの間にかテレビ中継の内容を批判することへのタブーが生まれたのだと感じています。
2ちゃんねるの週エフスレにもそれらしいことを書き込んでいる方がいましたが、私も最初に禁忌の臭いを感じたのは1995年だったと思います。『レーシングオン』誌に掲載された土屋圭一氏の“言い分”は、私も読んだ記憶があります。
当時は、今のようにネット掲示板などは普及していませんから、抗議といえば、テレビ局に直接訴えるか、専門誌の読者投稿欄に意見を送るかということになります。私自身は1995年の放送スタイルは特に嫌いではなかった(今のようにタレントがギャーギャー騒いでるわけではないし、熊さんとドリキンの丁々発止はそれはそれで面白かった)のですが、友人の中には怒ってる人も少なくなかったし、抗議の声は相当あったようです。
読者の投稿よりも、土屋氏の反論の方に大きな紙面を割くというやり方には、大いに不満を覚えたものです。当時の編集者にそういう意図があったかどうかは知る由もありませんが、テレビ局の機嫌をうかがうあまりファンの方を向いていないという印象を受けました。どっちを向いてるんだ、と。
その後、2001年、2002年とフジテレビのF1中継はどんどん改悪の方向に進みます。いわゆる「メルボルンの大虐殺」も起こりました。レースそっちのけでタレントがギャーギャー騒ぎ、アナウンサーはバカの一つ覚えのように寒いフレーズを連呼。初心者向けといいながら、いつまで経っても初心者向けなので、せっかく獲得した初心者が次の段階にステップできません。ただでさえ少ない放送時間、レースの中身はカットの連続。CMが入るのは仕方ないとしても、スタジオで山田優が20分近くゴチャゴチャとほざいている時間がもったいない。今年はついに、悪役ドライバーがシグナルポールに激突炎上するという不謹慎極まりないオープニングアニメーションが登場し、制作者の人としての良識さえ疑わざるをえないほどです。
この21世紀の改悪(フジテレビ的には「変革」というそうです)は、さすがに多くのレースファンの怒りを買ったようで、地上波を捨てCS放送へ移る人の急増、さらには地上波とCS放送の実況・解説の切り離しへと一気に進みました。環境的にCS放送が受信できない人もいますし、今でも地上波の中継に抗議の声は寄せられていますが、フジテレビ・スポーツ局の制作部長がブログで「マニアはCSでお楽しみ下さい」と言い放つ(タイトルが「文化としてのフェラーリ」であることにフェラーリファンとしても怒りを感じる)など、今日に至るまでフジテレビには改善の意志が全く感じられません。
忘れがちなことですが、地上波放送にとって一番のお客さんはスポンサーです。あの電波は、CMを流すスポンサーを満足させるための電波です。視聴者が満足するかどうかなんてものは関係ないのです。そういえばF1中継の大改悪とトヨタのF1参入が時期的にぴったり重なるのですが、ここではトヨタの話はやめておきます。とにもかくにも「視聴者の皆様から御意見お待ちしております」なんて形だけのモノ。そりゃ、ブログで視聴者蔑視ともとれる発言をする社員がいるわけです。
では、雑誌の場合はどうでしょう。まず、雑誌の淘汰が進みました。いわゆる速報誌は『AS+F』と『F1速報』が事実上の統合。『GPX』は紆余曲折を経て『週刊エフ』となりました。『週刊エフ』はネット配信ですから、書店に流通する速報誌は『F1速報』のみです。ネットの普及により読者投稿欄は従来の議論スタイルに陰りが見られるものの、『F1速報』誌には今も生き残っています。熱心に意見を投稿をするファンがいるのでしょう。
フジテレビの中継スタイルを批判する投稿は、年に何回か必ず掲載されています。絶賛する投稿を見た記憶は私にはありません。もっぱら専門誌を買うほどのF1ファンがあの中継に満足するとは思えないので、当然のことでしょう。ただ、どうも、掲載されるのは当たり障りのないものに限られているようで、編集部からはほぼ100%、「まぁまぁ、賛否両論はありますが…」と注釈が付きます。どっちを向いているのか、相変わらず理解に苦しみます。ネット上の闊達な意見(中には無茶なものもありますけど)との乖離が、活字不信を助長しているきらいも感じ取れます。
『F1速報』誌に寄稿するジャーナリストの中には、フジテレビに解説者として雇われているジャーナリストがいます。テレビ中継でお馴染みのメンツが記事を書くわけですから、ファンの食いつきはいいはずです。ただ、このことがフジテレビを批判しようにも批判しにくい状況を作り出していると思わせます。また、『F1速報』の船田編集長は、つい先日、自ら解説者として放送席に座りました。CSで放送されている「GP2」のレギュラー解説もやっておられますし、「F1GP NEWS」にもゲストで登場したことがあります。コメンテーターとしての船田編集長は、人あたりもよさげで、分かりやすく的確な解説をして下さるので好感を持っています。しかしながら、ここからも『F1速報』誌とフジテレビの間に癒着の香りがしないでもありません。
今回の『週刊エフ』誌上でも、これは読者投稿ではありませんが、まだまだフジテレビ側に大きく与した記述が散見されます。米やんさんも、その立場上、言いにくいことは多々あるんでしょう。もちろんF1を見ているのはマニアだけではないので、マニアの主張が必ずしも正論ではないとも思います。
実際のところ、テレビ中継なんかやってない時代からF1を見てた私みたいな化石人間はテレビへの依存度が低いわけですが、それでもやっぱりレースの醍醐味であるライブ感を楽しむには、テレビの存在は不可欠です。多くの現代っ子にとって、モータースポーツとの出会いはテレビであるといっても過言ではありません。私がミソクソに酷評してる山田優でも、彼女をきっかけとしてF1に興味を持った人がいるのなら、完全な無駄ではないといえるのでしょう。
ただ、いまF1が好きな人に聞いてみたい。「もし生まれるのが10~20年遅かったら、果たしてファンになったでしょうか?」ということです。マニアとかオタクといわれる人たちにだって、ビギナーであった期間が必ずあるわけです。夢が叶って趣味を仕事にしてしまった人にだって、右も左も分からず勉強しまくった期間があるわけです。
私がF1に興味を持った頃、テレビ中継なんかなかったけど、なにかしら琴線を打ったからこのスポーツが好きになったのです。この国のF1ファンの大半を占めるF1ブーム世代の人も、きっとあの時代に、とっかかりは興味本位であったとしても、F1の魅力にガツンと頭を殴られたから見続けているんだと思います。
F1グランプリは、色んな切り口のあるスポーツ。科学も、経済も、文化もあって、感動も、欲望も、悲嘆もあるスポーツ。いま、「日本のF1」には、それがない。フジテレビのF1中継には、それがない。出演者個人より以前に、F1中継をプロデュースしている人間がF1の何たるかを全く知らないのです。F1の見所が分からない人間が、それっぽいと思われるものを見繕って放送したとして、果たしてそれこそ予備知識のないビギナーの心の琴線に触れられようものがありません。
今回、『週刊エフ』で批判されている、ハミルトンに執拗に肩入れした番組作りにしてもそうです。ちょっとレースの見方を知ってる人間なら、フリー走行~Q1~Q2のタイムシートを見るだけで、ハミルトンが軽タンだったことは容易に察しが付くことです。そして、重い状況でも速いライコネン、ソフトタイヤの使い方が上手いアロンソに気が付いたはずです。
ライコネンが有利だが前を押さえられるとアロンソに逆転の芽がある…、ハミルトンが逃げ切るにはスタートダッシュに賭けるしかない…、あれこれ推理するのが良くも悪くも現代F1の戦略的な見所です。ところが、解説の森脇さん以外は誰も分かっていなかったのです。その結果、上位3台の中で最も勝つ見込みが少なく、守りのレースを強いられる可能性が最も高いハミルトンをプッシュするという、とんでもない番組が出来上がったのです。
特定の選手をプッシュするのは大いに結構なんですが、プッシュする対象を間違うとそれはただの茶番です。F1に限ったことではありません。可哀想なのは、実力以上の成績を要求される選手です。日本国内では“ハンカチ”とか“ハニカミ”とか言われている若者がよい例です。スポーツはそうそうマスコミの思い通りの結果にはなりません。意外だから面白いのであって、予定調和ならライブで見る必要なんてないのですから。
テレビのやたら煽り体質は、番組を作っている人間が無知であること以外の何物をも映し出しません。競技の醍醐味が分からない人間に、その競技の本質を伝えることはできないのです。野球のルールを知らない人間が野球の面白さを伝えることはできないし、サッカーのルールを知らない人間はサッカーの面白さを伝えることはできません。F1中継にしても「初心者にも分かりやすく」なんていえば聞こえはよいですが、番組を作っている連中が初心者というだけで、モータースポーツの楽しみ方が分かっていない人間がよってたかって、せっかくテレビの前に座ってくれた初心者に誤った印象を刷り込んでいるに過ぎませんよね。
視聴者を足蹴にして、スポンサーの顔色しか見ていない制作者たち。しょせん彼らはテレビ屋さん。あんな番組作りでも許されるのです。ただし、テレビの視聴率が雑誌の発行部数と切っても切れない関係にあるとはいえ、専門誌を購入するのは、購入の意志を持つ読者です。ファンを増やすためには何が必要か、よく考えてほしいものです。あんな番組作りしかできないテレビ局を持ち上げても、ファンは一向に増えないし、専門誌に手を伸ばしてくれる「意志を持った」お客様は増えません。
氷河期ともいえる冬の時代、『週刊エフ』の前身である『GPX』もまた、細かい経緯は色々あったにせよ、淘汰の憂き目にあったものだと認識しています。禁忌(があるのかどうかは知りませんが、あると思える理由は山ほどある)を破った『週刊エフ』、米やんさんは偉いと思います。生ぬるい表現だったとはいえ、胸がスッキリとする記事でした。読者の方を向いているんだという書き手の気持ちが十分に伝わりました。
F1が好きな人間が怒りを禁じ得なかったり、F1好きであることを公言することが恥ずかしく思えてくる、あのお寒いF1中継には何も期待できません。まだまだマイナースポーツかもしれないけれど、この国のモータースポーツファンはこの20年間で飛躍的に増加し、レベルも上がりました。分からないことは必死で調べたあの時代、今だって分からないことがたくさんあります。モータースポーツは数あれど、F1は分からないことがたくさんあるから飽きることがないのです。
これからこのスポーツのファンになってくれる人のために為すべきことは、私たちがこのスポーツに感化されたきっかけを思い出すことです。そもそも初心者向けのF1なんてありっこないんです。人類の際限なき知的好奇心こそ、このスポーツの原動力なのですから。
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