『週刊エフ』、復活の狼煙!!
昨年末の山海堂倒産後も、年明けまで細々と発行が続けられていた『週刊エフ』ですが、その後すっかり音沙汰が無くなってしまい、いつの間にやらwebサイトも消滅していたりで、「20年にわたって楽しんだテイストともお別れのときか…」と、もはや絶望に近い思いがしていた今日この頃…
先月、よねやんさんが新たに会社を立ち上げていました。
『週刊エフ』は、復活に向けて着々と準備が進められているとのことです。
よねやんさんの日記によると「4月29日が“Xデー”」だったようです。ただ、今日までのところ、まだ発行再開には至っていないようです。取材ともなればそれなりに経費もかかることでしょうし、なかなか一筋縄ではいかないのでしょうかね。
愛読者としては一日も早い復刊を待ち望むばかりです。頑張って下さい!
同サイトにて、よねやんさん渾身の一冊として紹介されていた『F1の教科書』、早速注文しました。
あくまでも子ども向けの本ということですが、うちの息子はまだ3歳なんで…。と思ったら、大人が楽しめるブラックな要素も盛り込まれているとか。色んな意味で楽しみです。
その昔、1990年か91年頃だったと思うのですが、月刊誌『Number』に中谷明彦選手のコラムが連載されていた時期がありました。中谷選手は、当時は全日本のトップドライバーであるとともに、工学の知識にも長けており、自身のレース活動を振り返るコラムの中で、フォーミュラカーの構造や運動性能を分かりやすく解説してくれていました。今でも覚えているのは「荷物の入ったリュックサックを普通に背負うとアンダーステア、反対にお腹の方に持ってくるとオーバーステア」という記述です。「ああ、こういうことか!」と、今となっては何でもないようなことなんですが、当時中高生、理数系はからっきしダメダメだたったこともあり、新鮮な衝撃を受けたものです。
他にも、同時期に二玄社から発行された『F1解剖講座』という本がありました。脅威の「16戦15勝」を記録したマクラーレン・ホンダMP4/4を、CG編集部が借り切り、各種計測機器を取り付けて、マクラーレンのテストドライバー、エマニュエル・ピロの手によりテスト走行。さらにはホンダの協力を得て、セナ、プロストのテレメトリーグラフを入手。後藤治さんがこれを解説するという、今ではちょっと考えられない大胆にして壮絶な企画でした。
もうドキドキワクワクしまくり。それはそれはドップリのめりこみましたよ。難しいんだけど面白いんですよ。時代は変わって、今のF1マシンは、あの頃のF1マシンとは較べものにもならないほど進化したわけですけど、無駄を削り、新技術に挑戦し、壊れるまで試す。目的はただ一つ「1000分の1秒でも速く」、やってることは今も昔も同じなんですよね。
理数系ダメダメな私にとって、生きていく上で最低限必要な科学思考力を身につけられたのは、モータースポーツとの出会いがあったおかげだと思ってるとか、思ってないとか…。実際のところどうなのかは分かりませんけど、モータースポーツを知れば知るほど、自分の頭が良くなったような気がしたことは確かですから…。
余談も入ってしまいましたが、外野から見ると信じられないほどつまらないことに、ありえない大金を注ぎ込むかと思えば、材料費数千円程度の小さな小さなアイデア商品がマシンのパフォーマンスを飛躍的に向上させることもある。それもまたモータースポーツの醍醐味の一つです。
それが、たとえばフジテレビの中継スタイル。「初心者向け」と称してやることといえば、「分かりやすさ」を追い求めるばかり。これでは、知的好奇心を全くくすぐらないんですよ。「答えありき」だから、このスポーツの本当の面白さを伝えきっていません。このところ地上波のF1中継でスタート前に、「F1マシンの重さは、なんと普通自動車の3分の1!」などという大袈裟な説明コーナー(※1)が設けられていますが、それだけでは一種のトリビア、雑学でお終い。「で、それがどうした?」というお話に過ぎないのです。
(※1) 実は、トヨタのF1公式サイトでは、開幕前にこのコーナーと全く同じ内容のクイズに答えるキャンペーンが展開されていました。よってこのコーナーは番組スポンサーであるトヨタがねじ込んだものとも思えます。地上波のF1中継の大脱線は、トヨタのF1参戦が開始された年に始まり、今日に至っています。ですから、番組の内容については、フジテレビよりも、トヨタを糾弾した方がいいような気もします。でも、まぁ、それはそれでここではどうでもいいことなんので、また別の機会に…。
フジテレビの提唱する切り口が、視聴者の関心をモータースポーツに引き付ける直接的動機に繋がっていないことは、5年以上にわたり「初心者向け」を謳った番組作りを続けてきたのに、視聴率に大した変動が起きていないという点に如実です。
仮に一過的に初心者の受け皿として機能した時期があったとしても、いつまでも初心者ではありません。初心者に固執するあまり、掴んだ新規顧客を離さないための別の受け皿が用意されていませんから、すくってもザルのようにファンが逃げていく結果になります。場当たり的で、批判を受けたらその都度、その部分だけをパッチワークで改善していくというスタイルでは、どこへ進むか分からない、目的地の定まらぬまま始まった道路工事でしかありません。縮小再生産、資源の無駄遣いです。
モータースポーツというジャンルは、肉体の極限を極めるアスリートと技術の極限を極めるエンジニアのせめぎあいによって進化を続ける、クリエイティブな遊びです。答えはどこかにあるけど、どこに答えがあるか分からない。考えるという楽しみはそこから生まれるわけです。『F1の教科書』は、編集者のコメントの端々から、知識の押し売りでも雑学の強要でもなく。目的地へのステップであることが示されています。これこそが初心者に必要なヘルプなのです。私なんかが偉そうに評価したところでどうってことないんですが、答えを教えるのではなく、考えるきっかけを作るという試み、知的好奇心に主眼を置くという姿勢には大いに共感を覚えます。
敢えて申し上げるならば、惜しむらくは表紙がトヨタで、中身もトヨタ色が強く感じられる点でしょうか。正直、不快感を禁じ得ませんでした。私、もう脊椎反射的に「トヨタ=圧力」と読み替えてしまう性分なので、昨年秋の富士スピードウェイに関して、誌面で酷評をしてしまったがために“罰ゲーム”として作らされたものではないのかと疑わずにはおられませんでした。
無論、第一、まだ中身を見ていません。ですから、嫌悪と抵抗を感じたことは否定しませんが、軽々しいことはいえません。上部脚註にもつながってきますが、トヨタ批判を語り出すと止まりませんので、ここでは私の好き嫌い、主観的な批判ということで流しておましょう。下衆の勘繰りであることを願っております。
『F1の教科書』、モータースポーツファンの人も、そうじゃない人も、機会があったら是非読んでみて下さい。













