『馬の瞳を見つめて』
競走馬の最期について、考えさせてくれる一冊です。
私自身、馬主になって4年目になるわけですが、その期間の長い・短いにかかわらず、競走馬の処分は避けて通ることの出来ない問題です。
私は、馬主になるまで、馬という動物と、まともに触れあったことはありませんでした。馬って、ほんと可愛いんですよ。臆病な動物なので、たとえオーナーであっても心はなかなかゆるしてくれないんです。でも、普段の面倒を見て下さっている調教師・厩務員・騎手の前では甘えて、じゃれついてくる。馬の一生、面倒を見てやれるものなら見てやりたいんです。
でもそれは不可能なんです。そこには経済的な理由があることも否定しません。私自身、こういう世界に参入する以上、割り切っているつもりです。綺麗事を言えばキリがないとさえ思っています。実際、私も何頭かの愛馬を手放してきました。彼らがどこへ運ばれていったのか、具体的な場所こそ分かりませんが、どういう末路を辿ったのか大方の察しは付きます。
事情を知らない人からは“動物虐待”だと後ろ指をさされるかもしれません。しかし、悪いことをしているつもりは全くありません。ただ、当事者となったことで見えてきたものがあります。「これでいいのだろうか」と思うことはあります。
そんなときに、知り合いの方から勧めていただいたのが、『馬の瞳を見つめて』という本でした。
日本では、年間約8000頭の競走馬が生産されます。全ての馬が競馬場の檜舞台に立てるわけではありません。また競走馬としてデビューできた暁にも、能力不足や故障による淘汰が待ち受けています。競走馬を生産する農家の方々は馬を売って生計を立て、それを原資としてより資質の高い馬の生産が行われることによって、馬産地の経済は回っています。
デビュー前の競走馬一頭にかかる種付け料を除く原価は約300万円といわれますが、私の持ち馬の半分は、買い手がなく売れ残った馬を200万円台で譲ってもらったものです。残りの半分は中央競馬等で頭打ちになって都落ちしてきた馬です。
私が買った馬の中には、私が買わなかったら競走馬にはなれないという切迫した事情を持っていた馬もいます。華やかな中央競馬と違い、地方競馬の下級条件で走っている馬なんて、言葉は悪いけど「そんなもん」です。私が買わなければ、誰かが買ったかもしれません。しかし、誰も買わなければ、これらの馬は殺処分されることになっていたはずです。
中央競馬から地方競馬へと流れ着く馬はたくさんいますが、地方競馬で頭打ちになったときに差し伸べられる救いの手は殆どありませんから、処分を猶予されているに過ぎません。元々は中央の馬主さんが買った馬なのに、最期の決断を下すのは私たち地方競馬の関係者です。別に中央の馬主さんを悪く言うわけではありませんが、手を汚す仕事だけを地方に押し付けられているように感じるケースがあることも事実です。そんなときは、やりきれない思いが何倍にも膨らみます。
中1週・月2走のペースで使い続けて、ときどき雀の涙のような賞金をくわえてきてくれるけど、預託料と進上金などの諸経費を差っ引くと、黒字の月より赤字の月の方が多いというのが現実です。その中から、馬の引退後の余生にかかる経費を捻出することは不可能です。
競馬ファンの中には、「走れなくなったらポイ捨て」のように思われている方がたくさんおられます。でも、それは違います。「走っている間は生きていられる世界」なのです。優しい気持ちだけでは解決できない現実との葛藤があります。
馬がいて、はじめて競馬が出来ます。個性豊かな馬の競演によって、競馬は盛り上がり、馬券が売れます。新しい馬が入ってこなければ、競馬を続けることはできません。競馬を続けるためには、馬を作る人がいなければなりません。馬を作る人は、馬を買う人に支えられています。この経済のサイクルがある限り、選別と淘汰もまた競馬の一部なのです。
全ての馬を生かしてあげることはできません。新しい馬を買うためには、古くなった馬は処分せざるを得ません。一頭の馬を繋養するには、馬房、厩務員、放牧地、エサ、寝藁、予防接種などなどの設備、人手、費用がかかります。犬や猫のように飼えるものでは決してありません。
馬を殺さずにやっていく方法は、現実的には存在しません。けれども、生かすための努力ならできます。この世に生を受けたサラブレッドを、1頭でも多く競走馬としてデビューさせてやり、1日でも長く競走馬として生かしてあげることです。少なくとも私の所有する馬については、常日頃そう思い走らせています。
華やかに彩られた競馬場。その場末で行われる命の選別作業。一部のファンによる心ない偏見の視線。一口に「エコノミックアニマル」と吐き捨てるのは簡単です。しかし、当事者は葛藤に苛まれているのです。裏方よりさらにずっと向こう側のお話ではあるけれど、決して無関心ではいられない世界があるということ。綺麗事では済まされない問題があるということ。
私自身、答えは見つけられません。本書の中にも、その答えはありませんでした。これからも葛藤を繰り返しながら携わっていくのだと思います。考えさせられることの多い一冊でした。













