「真実」はサイキッカーの胸中に眠りつづける
先日来、いわゆる“サイキック本”を、読み返していたりする。
思えば番組開始から20年、全部で何冊出版されたのだろうか。その全てを持っているわけではない。本屋でたまたま見つけて買ったものや、友達から借りたまま返し忘れて「借りパク」になっているものもあれば、持っていたはずなんだがなくしてしまったものもある。
本棚を漁り、実家の物置をひっくり返し、出てきた数冊の“サイキック本”。出版年月の古いものから読み返している。先週末に読んだのは『明解サイキック読本Ⅳ・サイキッカー』である。古くからのリスナーならば「みんなの名前が載った本」といえば覚えがあるだろう。それだ。
「超常現象」や「格闘技」にはじまり、「酒」に「ドラッグ」、さらには定番の「おっぱい」と「裏ビデオ」に至るまで、投げかけられるテーマは番組と同じく多岐に渡るが、本書は北野・竹内・板井の3人による座談の形式ではなく、3人がそれぞれの「決め打ち」・「主張」・「見解」を披露する形式で進むところがユニークである。
実は、この本の最後は、「一期一会」、「最終回」、「夢」という3つの意味深なチャプターからなる。「最終回」から一部を抜粋しよう。
竹内の見解 「いつ終わってもくやまなくてもいいように、全力投球で番組にぶつかっているつもりだが、今日でサイキックが終わるという瞬間になると、自分の気持ちがどうなるか予想もつかない。出演者もスタッフも全員泣くのだろうか。それとも比較的冷静に最終回をこなしていくのだろうか。『どうもみなさんコンバンワ、北野誠です』。『コンバンワ、竹内義和です』。『いやぁ、長い間お世話になりましたけど、サイキック青年団は今回で最後です……』。といった感じで最終回が始まるのだろう。やめておこう。こうしてシミュレーションしてるだけで瞳がウルウルしてきた。」
北野の決め打ち 「始まった当初は、3年でやめようと言ってたのに、それがもう丸8年。9年目を迎えようとしている。(中略)もし最終回がきたら、必ずその前に大阪城ホールでイベントをやりたい。これは俺の悲願でもある。是非、やらして欲しい。その時は、涙をぬぐって、リスナーの皆に、本当に心からお礼を言いたい。サイキックを、ここまで楽しくしてくれたのは、リスナー一人一人の力なんだから。」
この出版から12年と7ヶ月が過ぎ、「誠のサイキック青年団」は最終回を迎えることになる。それは、竹内が描いた淡々と進む最終回でもなければ、北野の描いた派手に散る最終回でもなかった。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか?
その思いは今も拭えず心の奥底にこびりついている。人が人である限り、知りたいという欲求から逃れることはできないのだから。一方で、そっとしておいてあげたいという気持ちが少しづつ芽生えてきた。
どこかに真実がある。そして、真実はいつも嘘というオブラートにくるまれている。いい加減な嘘は、ネット上にもたくさん転がっている。番組を一度も聞いたことのないような人間の便乗騒ぎにウンザリしている番組リスナーは私だけではないはずだ。
3年で終わる予定だった番組が、21年も続いたのは、リスナーがそれを望んだからに他ならない。無論、朝日放送の重役の理解とスポンサーの厚意もあった。しかし、大前提として、この番組は我々リスナーの声と出演者の情熱なくして成り立つ類のものではなかった。
サイキッカーだけが知っている「真実」が必ずある。もうそれが何か具体的に分からなくても構わないのだよ。なぜなら、「真実」は1つだけだと限らないからだ。私たちが耳で聴き、頭で砕き、心のポケットにそっとしまいこんだもの。それが「真実」なのだ。
正直にいう。私は、北野誠という芸人が好きかと訊ねられても、首を縦に振らないと思う。好き嫌いでいえば「好きではない」からだ。けれども、私は、番組を通して、北野誠が20年以上にわたり番組とリスナーのために頑張ってきたという「真実」を知っている。常にリスナーと正面から向き合ってきたという「真実」を知っている。これだけ「真実」があれば、もう十分だ。
だから、私は願う。北野誠よ、死すとも折れるなかれ。













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