草彅剛逮捕騒動~本当に「よくあること」なのか?
SMAPの草彅剛が公然猥褻で逮捕されました。
…とまぁ、人間誰しも過ちを犯してしまうことはあります。
記者会見で「記憶がなかった」を繰り返していたのはウソっぽく思えましたが、本人も事実は事実として認めており、反省はしているのでしょう。
やってしまったものはしょうがない。役者としての才能は誰もが認めるところ。これを契機に、一回りも二回りも大きく生まれ変わってもらいたいと思います。
ただ、「変だなぁ」と思うことがあります。
マスコミの報道姿勢と、ファンと称する人たちの言動です。
まず、この事件を伝えるニュース番組に、これでもかと挿しこまれている「通行人インタビュー」。この事件に限ったことではないけれど、ああいうのって本当に街行く人の声をアトランダムに拾い上げているのだろうかという疑問が生じます。
実際に拾い上げた声だとしても、オンエアの前にテレビ局というフィルターを通ってしまえば、それは「街の声」ではありません。敢えて大袈裟な表現を使えば「メディアによる情報操作の賜物」ということになります。
さらに、「怖いなぁ」と思ったのは、この手のインタビューに「よくあること」的な意見が多々あるということです。
たしかに「草彅容疑者を擁護しよう」という気持ちが先走ったり、あるいは「草彅容疑者の犯罪事実を認めたくない」という“幻滅回避の心理”からそういった言葉を発してしまうことには一定の理解ができます。鳩山大臣の発言に抗議が殺到したと報道されていますが、どういう質の人間が受話器を持っていたのかは想像に難くありません。
でもね、いい人だろうがクールな人だろうが犯罪者は犯罪者なのです。ましてや公の場で全裸になり、警察官に注意されても着衣せず、逮捕にまで至る人は滅多にいないと思いますよ。
私、生まれてこのかた30有余年、「深夜の公園で全裸になって奇声を発する泥酔者」を見たことは一度もありません。体育会出身なので、酔っぱらった勢いで脱ぐ人に遭遇したことは何回もあるのですが…。
普通は一線を超えない理性がはたらくものだし、歯止めが掛かりそうにないときは誰かが止めるものです。そもそも、記憶が飛ぶほど飲んだからといって、それが必ず奇行に結びつくものではありません。奇行に走る人間は、ジョッキ1杯でも奇行に走るんですよ。
「深夜の公園で全裸になって奇声を発する泥酔者」というのは、私の価値観では「酒の勢いを借りた露出狂=変態」です。中には「見たことあるんだ!」という人もいるとは思いますけど、“頻繁に”見かけるものではないでしょう。
この国は、そんなのが当たり前のように彷徨いてる国だとは思えません。また、そんなのが当たり前のように彷徨いているような場所には住みたくありません。
一昨日は当たり障りのないコメントや容疑者への同情のコメントばかりをクローズアップし、昨日は鳩山法務大臣の言葉尻を捕まえて批判の矛先を逸らす───ジャニーズ事務所に対する過度の気配りゆえ逃げ腰の報道になるんだという指摘もありますが、それが真実かどうかを差し置いたとしても、一連の報道の中に本質めいたもの全くみえないのです。
誰でも過ちは犯すのです。やってしまったことはもう取り戻しが付かないのです。ファン心理は痛いほどよく分かります。でも、事実は事実として受け止めるべきだと思います。
芸能人、それも大手事務所所属のトップアイドルが起こした“シモ”のスキャンダル。ここぞとばかりに面白可笑しく伝えようとはやるマスコミの心理も分からなくはありません。でも、事実は事実として伝えるべきだと思います。
この事件に関する報道を見るにつけ、世の中には「深夜の公園で全裸になって奇声を発する泥酔者」よりも「平気でウソをつく人」の方が多いことに気付かされます。それこそ由々しき社会問題でしょう。
私も他人のことをとやかくいえるほど清廉潔白な人間では決してありませんので、「芸能人だから一般人より厳しく処すべきだ」とまでは言いません。
しかし、飲酒運転で事故を起こそうが、麻薬・覚醒剤で検挙されようが、何の根拠もなく定められた「禊ぎ」と称する期間が過ぎれば戻ってこられる芸能界は甘い、甘すぎると思います。今回の事件でいえば映画やらCMやらで一説によると50億円近い損失を発生させてしまったわけですから、その責任とも正面から向かい合わずして禊ぎなどありえません。
「政治家の方が甘い」という人もいるでしょう。たしかにその通りです。でも、だからといって、「芸能人も政治家と同じように甘やかせ」では本末転倒。酔っぱらって一線を外してしまった草薙容疑者よりも、「よくあること」の一言で片付けてしまおうとする人や、「よくあること」の一言に疑問を持たない人のほうに恐ろしさを感じます。
何度も繰り返しますが、人間である以上、誰しも過ちを犯してしまうことがあります。それは仕方のないことです。しかし、そこで終わらせてしまうのは単なる居直りにしかなりません。何事も「そのあとどうするか?」こそが大切。近頃の日本人は「そのあと」に無関心すぎるのです。












