【訃報】 場内アナウンサーの大野博子さん
あのなんともいえない関西訛りの場内アナウンスでパ・リーグファンに愛された大野博子さんが亡くなったそうです。
訃報:大野博子さん 59歳=元プロ野球近鉄職員、場内アナウンサー
大野博子さん 59歳(おおの・ひろこ=元プロ野球近鉄職員、場内アナウンサー)24日、S状結腸がんのため死去。葬儀は26日午前11時、大阪市天王寺区国分町15の6の浄長寺。喪主は姉良子(よしこ)さん。
近鉄で36年間にわたり、主催試合約2000試合の場内アナウンスを担当した。
正直、もう3年以上、プロ野球というものに無関心だ。テレビで試合を見ることさえない。名前を知っている選手は、知らないうちにどんどん引退していった。たまに新聞のスポーツ欄で野球の記事を目にするが、半分近くは知らない選手になっている。
それでも、ときどき近鉄バファローズの夢を見ることがある。それも、見るのは決まって同じ夢だ。舞台はいつも藤井寺球場だ。相手はいつも南海ホークスだ。そして、いつも「一番、センター、平野、背番号9」というアナウンスが聞こえてくる。
なぜ、この夢を何度も見るのか分からない。これは私のプロ野球の原風景なんだろうか。
「一番、センター、平野、背番号9」
私の夢枕に響くアナウンス。その声の主はいつも大野博子さんだ。
思えば、近鉄バファローズの最後の優勝決定試合も大野さんが担当だった。北川の逆転サヨナラ満塁弾。あの日、大阪ドームには入れなかった私は、球場の外でラジオを聴いていた。「バファローズナイター」の松本恵二さんが声を裏返している向こうで、試合終了とバファローズの優勝をアナウンスする大野さんの声が聞こえた。
本拠地最終戦も大野さんが担当だった。星野の放った打球がライト線を転々とし、大村が長駆サヨナラのホームを踏む。勝利に歓喜する声と、近鉄バファローズの終焉惜しむ悲鳴と嗚咽が入り乱れる中、大野さんが試合終了のアナウンスを読み上げた。
藤井寺球場最終戦となったウエスタンリーグ優勝決定試合も、近鉄バファローズとして戦う最後の試合となった“よさこいリーグ”の対ダイエー戦(ダイエーホークスにとっても最後の試合になった)でも、場内アナウンスは大野さんだった。
失礼な言い方かもしれないけど、大野さんには“ウグイスおばさん”という呼称がしっくりくる。ほんと、そこかしこにいるオバちゃんが読んでいるようで、それでいて誰にも真似できない独特の名調子。藤井寺球場に、日生球場に、大阪球場に、そして大阪ドームにこだました大野さんの場内アナウンスは、不器用で武骨で野暮ったい近鉄バファローズと大阪の野球場にぴったりマッチしていた。
これからも、近鉄バファローズを思い起すとき、目に焼き付いた名場面といっしょに、耳に焼き付いた大野さんのアナウンスを思い出すだろう。大野さんに背番号はない。しかし、「近鉄バファローズの永久欠番」を読み上げたのは大野さんである。だから、大野さんも永久欠番の一員なのだ。
合掌。南無阿弥陀仏。
2004年、近鉄バファローズが全日程を終了したあと、ラジオ大阪で「感動をありがとう。大阪近鉄バファローズ」という特別番組が放送された。この「第二部」に、ゲストとして大野さんが出演している。
近鉄バファロースの場内アナウンスを担当するようになった経緯(これがいかにも近鉄らしくて面白い)、西本監督との思い出、鈴木啓示の完全試合、劇的優勝の瞬間、涙のラストゲーム…。普段はなかなか知ることのできない場内アナウンサーの目線で語られるエポックメイキングの数々は、涙なしには聴けないものでありながら、どこかで球団消滅の悲しさを癒やしてくれるものだった。
- 『感動をありがとう。大阪近鉄バファローズ』(MP3)
(当時、実況避難所で遠方のファンの方のために録音したものが残っているので再うpしておきます。番組は二部構成。冒頭に1分ほどCM、一部と二部の間に10分ほど某カルト宗教の広報番組が挟まっていますが、カットするのが面倒だったのでそのまま保存してあります。ご了承下さい)
そういえば…
ボールを投げるわけでも、バットを振るわけでもなく、グラウンドに出て手を振ることもなかった大野さんだが、彼女がスタジアムの主役になった瞬間が一度だけあった。
「ピッチャーホンゴウ」
「誰やねん、ホンコウって???」
あんときは、腹抱えて笑ったなぁ…。
大野さんは、近鉄バファローズの歴史そのものだった。近鉄バファローズの思い出が尽きないように、大野さんの思い出も尽きない。












