Global Fan Survey 2010 - Have your say on the future of F1
数年前、「トヨタは、世界はおろか日本のF1ファンからも嫌われている」という事実を炙り出したことで有名な(なんじゃそれはw)、F1-Racing誌のアンケートが今年も行われています。
前回、前々回は「FIAのアンケート」という性質だったような気がするのですが、今回は「FOTAのアンケート」です。このあたりは大人の事情で色々あるんでしょう。
ところどころに、マニア度を確認するためとしか思えないような設問もあったりして、どういう層の人がどういう観点を持っているかといったことまで、きちんとリサーチしようとしてるのはよく分かりました。でも、「LGがF1のスポンサーをやってるのは何年前からだと思いますか?」とか聞かれてもシラネーヨッ!
私は今しがた一通り回答してきたところなのですが、感想をば少々ということで…
変えるべきものは変えてもいいと思います。ただ、変わらないでほしいものもあるんです。
たとえば、モーターレーシングと「交通安全」や「環境問題」をリンクすること自体に、大きな違和感があるのは私だけでしょうか? どこかの国の“コーコーヤキュー”じゃないんだからねぇ。
私が見たいのはレーシング、つまり競争。それは自動車の競争。ものづくりの技術の競争であり、それを操る人間の技術の競争。もちろん外野ではお金も飛び交うし、政治的な権力闘争もあれば、人種差別のような形で人間が醜い本性を表すこともある。でも、それらをひっくるめて「レーシング」だと思っています。数あるモーターレーシングの中で、F1がナンバーワンなのは、これらありとあらゆる要素が詰め込まれた状態で世界を一周するサーカスであるからだと思うのです。他にありませんよね、これほど濃密なカオスは。
「追い越しが少ない」という人がいます。アンケートの中にも、それに関する設問がいくつかありました。
たしかに、20年、30年前のF1では、今よりもっと頻繁に追い越しがありました。でもね、考えてみましょうよ。なぜ20年前は追い越しが多かったかということを。これってすんごく単純な話なんですよ。追い越しというのはマシンとマシンのスピード差があるから実現するのです。マシンとマシンの性能差が小さくなればなるほど追い越しが減るのは当たり前のことなのです。「追い越しが少ない」といえばネガティブに聞こえるけど、それはマシンの性能差の小さい接戦が実現していることの裏返しでもある訳です。
20年前までのF1は、いつもポールポジションと最後尾の間には5秒、6秒、7秒の差がついていたものです。10年ちょっと前でも、フロントロウのプロストとセカンドロウのセナの間に2秒近い差がついていることもありましたよね。圧倒的に速いプロストが、エンジンのパワーで劣るセナを抜いて感動しましたか? むしろ多くの人は、劣勢のセナがプロストの攻撃をどこまで凌ぐかに焦点を合わせていたのではないかと思います。つまりファンは、追い越しが多いか少ないかではなく、目の前の競争の質にこそ惹かれてきたはずなのです。
追い越しを増やす方法は簡単です。コース上のマシンの性能差を大きくすればいいのです。しかし、それを望む人はほとんどいないでしょう。
追い越しを増やすためと称して、僅差の接戦状態をリセットして昔のようなラップあたり5秒差、6秒差の状態に戻してしまえば、弱小チームはF1に参加する意義すら見いだせなくなります。技術が、革新の段階を飛び越えて飽和の段階にさしかかりつつあり、めっきり壊れることのなくなった現代F1において、スーパーアグリやトロロッソのような小さなチームにも活躍のチャンスが生まれたのは、僅差の接戦状態の賜物なのですから。
モーターレーシングは、人間の競争であると同時に、自動車の競争でもあります。だから、絶対に“道具”の差があります。この差は、あって然るべき差というべきでしょう。しかし、道具の差が全てではスポーツとしてもエンターテインメントとしても成立しません。だから、その差ができるだけ狭い範囲に納まるようにと、“107%ルール”を筆頭に、ここ10数年にわたってレギュレーションの改訂を繰り返してきたのです。
とまぁ、色んなことを考えながら、アンケートの設問1つ1つ、じっくり考えながら回答をしました。誰もがスポーツは面白くありたいと願っています。ただ、スポーツの面白さは、人間には作れないところにあるものです。なぜなら、人間が作ることのできる面白さには、必ず予定調和の要素が盛り込まれるからです。
予定調和的なレースとして日本のSuperGTがあります。あれはあれでエンターテインメントとしては可です。「そういうものだ」という予断を持っていれば楽しむことができます。しかし、スポーツとしては不可です。あれは、おいしいけれど「性能調整」という化学調味料のおかげです。
その一方で、「筋書きのないドラマ」なんて言葉があります。スポーツの醍醐味は「奇跡」の瞬間に集約されるのもまた事実です。本当のF1のファンは、それをこそ求めてF1を追いかけているのではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。
人間には、「奇跡」を作ることはできません。自然によって生まれる数々の奇跡の中では、人間はしょせん役者です。チームオーナーも、ドライバーも、エンジニアも、メカニックも、ファンも、スポンサーも、一座の役者衆です。私は、いまのF1に足りないものは、奇跡の舞台を演じる役者としてのセンスだと思います。台本のない奇跡の時間を演じる力を磨いてほしいものです。お前ら、マンセル様をなんと心得ておるか!?ってね。
追い越しが多いとか少ないとか、そんな目先のことにとらわれてしまうと、台本だけはどんどん分厚くなり、舞台は奇跡の瞬間からどんどん遠ざかっていくことになるでしょう。すると、やがて、F1がF1ではなくなってしまうのではないでしょうか? 繰り返しになりますが、たしかに追い越しの数は20年前に比べて減っています。しかし、追い越しが無くなったわけではありません。むしろ追い越しの価値は向上しているとも言えます。過去1〜2年間だけでも、印象に残る追い越しシーンはちゃんとありましたよ。覚えていませんか?
変えるべきものは変えたらいい。たとえば今シーズンから改訂されるポイント制度などは、私は評価しています。ただ、なんでも手を加えればいいってものではないし、手を加えてはいけない領域はちゃんと残しておいてほしい。どうかスポーツを人為的にぶち壊すことのないようあってほしい。そう願ってやみません。













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