私的講評 - 88回目の夏

久しぶりに、野球に熱くなることができた。

野球って、ちゃんとやると面白い競技なんだなぁ。

レベルとか順位とか、そういうものを超越したものにこそ醍醐味があるんだなぁ。

どんなに素晴らしい試合をしても、そこには優勝劣敗という厳しい掟がある。正直、私には、勝った者の気持ちはあんまり分からない。でも、負けた者の気持ちはなんとなく漠然と分かるような気がする。勝った者にしか見えない世界があるように、負けた者にしか見えない世界があるのだ。

甲子園には魔物も女神もいない。感動は無作為の中にある。肉体の限界を超えたとき、人を支えるものは精神だけ。身体が「NO」といっても、脳味噌は「YES」という。極限の空間にいた選手にしか見えない世界があったはず。甲子園に縁のなかった私には、それが死ぬほどうらやましい。

力で負けても、気持ちで負けてはいけない。意地という。底力という。学校では教えてくれない、かけがえのないものだ。

野球の神様に心から感謝する。ありがとう。


以下、今大会を見ていて私が気になったこと。

1 変化球頼みの投手が多すぎること

いわゆる「縦スラ」と「フォーク」は、甲子園出場投手の必需品となりつつある。投球数にしめるこれら変化球の割合は年々増加している。一本槍の直球勝負のみを美化するわけではないが、なにしろ将来のある高校生のやること、一定の歯止めが必要である。大会前に投手の肩肘を検査したり、中間に休息日を挟んだり、延長戦を十五回で打ち切ったり、「選手の健康管理」にはシビアなのは大いに結構だが、肝心なところが抜け落ちているのではないか。設備や環境の整備された私立の投手のみが才能を伸ばすことができ、そうでない公立学校の投手はいくら才能があってもそれを伸ばすことができないか、無理をして故障するかで、野球人生を棒に振ることになる。「歯止め」が不適切ならば、ノウハウの共有を促進すべきである。高野連ごとき「あれはダメ。これはダメ」というばかりの結果平等主義のド素人集団に、「こうしてみたらどうか」という機会均等主義の指導力を期待する方が間違ってるかな…。変化球の多用は、つまり以前にも増して配球の優劣が求められるということであり、サインの複雑多用化によって試合時間が長引くことにもなる。

2 「飛ぶバット」に頼った大味な打撃戦が頻発したこと

高野連は、言ってることとやってることが全くリンクしていない。そもそも、バットを重くすればいいというのが、いかにも素人の発想だ。マスコットバットを振り回して打撃練習している高校生に、ほんの数グラム重いバットを与えても、飛距離が伸びるだけだ。かつて「飛ぶボール」で名を馳せたミズノをはじめとする野球用品メーカーは、もはや「金属」と定義すべきかどうか怪しい素材を使ったりして、より重く感じる、重量配分をバットの先に持っていったバットを売り始めた。素材改良でスイートスポット(芯)が広くなり、重量配分の変更でスイングスピードは以前より速くなった。お世辞にも「強打者」には分類できない華奢な打者が、アウトローの球を引っかけただけで外野の頭を破る飛球を放つ。ホームランの増産という表面的な問題にとどまらず、外野守備の練習に時間を割くことのできる広い専用グラウンドを持った学校が有利になったともいえる。

3 「記録員」が機能しているチームはやっぱり強いこと

女子マネージャーの皆さんには大変申し訳ないが、スコアブックにただ闇雲に記入しているだけの記録員がベンチにいても、全く戦力にならない。データを採ることではなく、採ったデータを活用することに意義があるからだ。とりわけ、一戦必勝のトーナメント戦では、敵情視察の速遅がそのまま試合の勝敗につながることが少なくない。勝ち進むチームは、凡退した打者が記録員と頻繁に言葉を交わしている。監督のすぐ横に座り、監督が記録員に耳を傾けている。円陣を組むと一口に言っても、気合を入れるだけではどうにもならない。実態は横に置くとして、高野連は建前として過剰なデータ収集は禁止している。ならば情報は現場で集めるしかない。ランナーコーチャーと同様に、優秀な記録員を養成するべきである。また、戦力となった記録員は賞賛されるべきである。

4 延長戦を打ち切るのはかえって不健康だと思えたこと

「再試合で二度おいしい」とほくそ笑む高野連・新聞社の話題作りのために、有望な高校生が身体を壊してしまうのでは、誰のための高校野球か分からない。大体、15回で打ち切ったからといって、翌日になれば体調が回復するわけではない。間に睡眠を挟むことによって、酷使された肉体は「修復」のモードに入ってしまう。筋肉をいくら丹念にほぐしたところで、それは前日のつづきの状態でしかない。むしろ、一度固まった筋肉を無理矢理ほぐして酷使することは、かえって怪我の可能性を高めることになる。レギュラー選手がフル出場しているケースは少ないだろうが、練習試合となれば1日2試合、3試合を戦うことはザラにある。体力的には決して不可能なことではない。理想だけでいえば、再試合までに中1日以上の休息日を設定するべきなのだが、これは日程的にほぼ不可能なこと。2日がかりでやるよりも、打ち切らずに1日で決着がつくまでやらせるのが、現実には最も健康的なのである。炎天下での長時間試合ではブッ倒れる者も出るだろうが、3回ごとにインターバルを設けるなどすればよい。

5 死球なのに「よけていないから」という理由で判定を覆す審判のこと

それはそれで「ルールを厳格に適用した」といえばそれまでのこと。誤審とかそういうことを言うつもりは毛頭無い。ただ、判定の基準が曖昧すぎる。たとえば、バスターで右足を一歩踏み込んだ左打者の左足に右投手のションベンカーブが当たった場面で、デッドボールが認められないのは絶対におかしい。軸足は動かせないからだ。審判の皆さんも大変だと思うが、判定の基準を明確にしてほしい。個人的な意見を付け加えるなら、よけていようがよけていまいが、あの固いボールが当たったら痛い。そこを承知で、チームのためにわざと当たりにいくのも野球のうちだ。それくらいの気合もない弱気な打者は、インコースの球を弾き返せない。

6 相変わらず、負けてるくせにガッツポーズする選手が多かったこと

なんでもないヒット1本で、いちいちガッツポーズすんなと言いたい。気合の握り拳くらいならまだしも、これみよがしのオーバーアクションが年々増えている。負けてる方もいっしょになってやってるから問題の本質が見失われているが、勝ってる場面でやるのは対戦相手に失礼な行為だ。高野連も、野球を通して礼儀作法を叩き込むというなら、こういうところから何とかしろ。ポーズを取る暇があったら、声を出せ。誰にも負けない大声を出せ。

7 「野球はエース1人いれば十分」であるかのように伝えるアホなマスコミのこと

ピッチャーをやらせてもらえんかった僻みもちょっと入っとるけど…。エースがナンボのもんじゃい。キャッチャーはな、投げ損ねのワンバウンドを身体で止めとんねん。バットに当てられたボールは誰が拾いに行ってると思とんねん。エースはいつも1人で壁当ての投球練習をしてるのか。エースは27アウトの全てを三振で仕留められるのか。なにかと「エース以外は背景みたいなもん」という風潮が蔓延するのは、マスコミには「巨人の星」のような三流野球マンガを真に受けて育った人間が多いことを意味している。ピッチャーを特別な生き物であるかのように甘やかす慣習は、マスコミに限らず往々にして現場でも散見される。野球はピッチャー1人ではできない。レギュラー9人ではできない。背番号をもらえない球拾いの選手でも、しんどいのはみんないっしょや。そこにこそ「教育」の本分があるというものだ。

8 場内で流れる女性シンガーの大会歌に白けまくったこと

表題の通り、それ以上でも以下でもない。誰が歌ってるのか知らんが、あの耳障りに甲高い女の歌声は甲子園に似合わない。今大会、特筆すべき「不祥事」の一つである。

9 結局、「大人の思惑」が最優先されていること

もういい加減、やめてほしいものがある。試合が終わって、疲れ切った選手を炎天下に立たせて行う閉会式である。

高野連が耳にタコができるまで連呼する「教育」とは、「家に帰るまで運動会」と訓示することなのか。朝日新聞社ともあろうものが、いかにも前時代の軍事教練を彷彿とさせる行事を仕切っている。大体、一任意団体と一新聞社に過ぎない高野連や朝日新聞社には、教育の権限など一つもないのである。連中は、高校生をダシにして、できもしない教育を、やってるようにみせかけて、金を稼いでいるのだ。

優勝旗なんか、試合終了と同時に、歓喜の輪に投げ込めばそれでいいのだ。汚れて困るというならレプリカの優勝旗を作ればいいのだ。その場で「おめでとう!」と一言添えれば事足りる。スタンディングオベーションの観衆は、その自然な光景を祝福するだろう。いちいち「閉会式」と称して、つい今まで試合を戦ってきた選手たちを、屋根も何にもない陽炎がゆらめくグラウンドに立たせて、何の意味があるのか。優勝旗を盾にとられた挙げ句、他に捌け口のないジジイどもの公開センズリに付き合わされる方はたまったもんじゃない。

高野連のオッサンと朝日新聞社のオッサンが「講評」「挨拶」と称して読み上げる感想文ほど、試合の余韻をブチ壊すものは他にない。お前らにとやかく言われなくとも、ほんの数分前まで、このグラウンドで行われていた試合が全てなのだ。バントの失敗が多かっただの、牽制死が多かっただの、あっちの初出場校が健闘しただの、こっちの応援団が元気だったとか、決勝戦を戦った選手を立たせて聞かせても何の意味もない。しかも、あることないことケチ付けて、きめ細かい野球を必要以上に賛美したがるくせに、手前どもが率先して導入した「飛ぶバット」については全く知らん顔で押し通す。

高野連による講評など、ビデオレターでも作って、選手が帰りのバスで観られるようにすれば済む。何が「準優勝おめでとう」だ。喧嘩売ってるのか。優勝するために死力を尽くして戦った敗者に失礼だ。朝日新聞社長の挨拶に至っては、「色んな人に感謝しなさい」といいながら、つまるところ「朝日新聞に感謝しろ」と自画自賛する始末。“コトバのチカラ”なんて、しょせんこの程度だ。こんなものは翌日の朝日新聞に掲載すればいい。

オッサンが「お疲れ様」といいながら選手の首にメダルをかけていく。本当にそう思うなら、座らせてやれ。あとで宿舎までメダル持ってこいや。勝った方はともかく、負けた方にとっては“いやがらせ”の儀式としか思えない場内一周。先頭を誘導する女性の胸には「朝日新聞」のロゴが派手派手しく踊っている。疲れを押して行進を強要され、今にも倒れそうな高校生の写真が、明日の一面を飾るのだ。高校生は見世物か。朝日新聞社よ、どうしてもやりたいなら、選手に給与を支払え。児童・生徒を無賃労働させるな。

私欲にまみれた素人のオッサンどもの弁論よりも、朝日放送の解説を務めた星陵高校・山下監督の「最大の敵は、最高の友になる。ビッグな大人になってほしい」という簡潔な一言の方が、大きく心を打った。早稲田実業・駒大苫小牧の選手たちは、宿舎に帰って、あるいは地元に帰って、今日明日は見たくなくともいつの日かきっとビデオを見るだろう。そして、山下監督の一言に心を熱くするだろう。教育とは、人を評価することではなく、人を育成することなのである。

「教育の一環」というスローガンのもと、「教育」を曲解したがる大人の思惑に揺り動かされる高校野球。閉会式には、本音と建前が釣り合っていない高校野球の歪みが凝縮されている。来年こそ、この無意味な式典を撤廃して頂きたいものだ。

「全てはカネのために!」

遅ればせながら、WBC優勝おめでとうございました。

さて、選手の皆様には、NPBから、ご褒美として金一封が出るそうです。ガッポリ稼いでおられるプロ野球選手の皆さんには、税金の足しにもならない少額ですが、一人あたり約400万円が贈られます。

2年前は、火の車だったNPB。「コミッショナーには権限がない」「機構には財源がない」「各球団の経営権の問題だ」の3点セットで、あらゆるピンチにも決して正面から向き合わず、負担になりそうなことはひたすらスルーパスして、ゴールに転がり始めたボールを見て見ぬふりし続けたNPB。

ふーん、あるとこにはあるんですねッ!

「世界」に目覚めたような気分で「日の丸」とか勝手に背負い込んたつもりになって海外移籍を企むバカ正直な非国民どもに贈る一種の「引き留め金」かと思いきや、日本球界に砂を掛けるような形で出て行ったワガママ“日本人メジャーリーガー”にまでくれてやるというんですから、いやはやNPBは太っ腹です。ていうか、わざわざ引き留め金なんか贈らなくても、非国民のレッテル貼ってやればいいだけですからね。

「球団合併」とか「改革元年」とか「ファンサービス」とかやって、お金が一杯使えるようになってよかったですね。タダ券をバラ撒いたらパリーグのお客も増えて、世界一を連呼してたら視聴率もちょっと上向きにと、実に喜ばしいことですね。

全てはカネのために!

日本球界は、サグラダファミリアの大聖堂を徹夜の突貫工事で完成させてしまったかのようなフィーバーに浮かれています。地質調査をせず、地盤も固めず、構造計算は適当に、設計図は現場の判断で書き換えながら、どこから買ったか分からない資材を用いて、コストカットのため職人の大半は経験不足のアルバイトで賄うことで、短期かつ安価な建築を実現しました。外観は実に立派です。その見栄えたるや、手前味噌ながら「世界一」との呼び声もあります。

居住者も居住者で、雨漏りしても、床が波打っても、タイルの1枚や2枚がはがれても全く気にしません。窓から乗り出して雄叫びをあげる人を下から観察しますと、日の丸に最敬礼し「外国籍排除こそ愛国心の象徴だ」と叫んでいます。建物は俄然注目を集めますが、建物そのものの魅力は誰も語ろうとしません。批判などしようものなら、国粋主義(ナショナリズム)と全体主義(ファシズム)の違いも分からない連中から扇動的に「非国民」とのレッテルが貼られます。建築主にはマスコミ関係者も名を連ねていますので、少々のトラブルは内々で処理できますし、不法占拠も時間が経てば既成事実に仕立て上げられます。

しかし、どう誤魔化そうとも、その実態が、いつ倒壊してもおかしくない泥の城であることには変わりありません。風が吹き、雨が降り、地面が揺れたとき、果たして持ちこたえることができるのでしょうか。屋上近辺で「世界一」と浮かれている連中は、倒壊する建物から無事に避難できるのでしょうか。万が一の後始末は誰がやるのでしょうか。少なくとも自分が家を建てるなら、こんな建物のそばには住みたくありません。長生きしたい人は、可及的速やかに安全なところまで逃げましょう。命あっての物種です。

一から十までウソだらけ、粉飾と偽装まみれの日本球界。「話題作り」という名の満たされることのない欲望を満たそうと、大黒柱が荷重に耐えきれなくなる日まで、上へ上への無謀な工事が続きます。この違法建築の大聖堂が倒壊するのは、いつのことなんでしょうか。どっちかというと、そっちの方にワクワク期待してしまいます。タフな人間は、解体“ショー”を楽しみにしておりますので、倒壊の日まで「話題優先」の行動をお願いしたいものです。

最後に、ファシストから非国民のレッテルを貼られた松井秀喜選手へ…。身を振る基準が「銭金のため」だったという点においては、イチローも松井も同じです。松井が選んだ「プロとして自らの職場を最優先する」という姿勢は、正に日本人の勤勉さを象徴するものであり、我が国が諸国に比して誇りとするところです。罵詈雑言など何ら気にせず、自らの野球道を極めていただきたいと思います。

ドラえもんじゃありませんが、「僕たちみんな地球人」です。母国への愛着や誇りは、旗の記号によって第三者が分類・区別できる類のものではありません。シンボリックに過ぎない心の問題をヴィジュアルを介さないと表現できないところが日本人の底の浅さです。また、これをヒステリックにしか解釈できないところが懐の狭さであり、このてのアホどもこそ我が国の品格を著しく貶めているというものです。

「ノムラの負け方」 - どう負けたか? なぜ負けたか?

野球に限ったことではありませんが、「負け」には2種類の負けがあります。こてんぱんにやられる「惨敗」と、あと一歩まで詰め寄りながら勝ちきれない「惜敗」です。さらに、惨敗と惜敗には、それぞれ2種類あって、あとまで尾を引く負け方と、それっきり尾を引かない負け方があります。同じ1敗でも、負け方がどうであったかによって、効能があったり副作用があったりします。

昨年、日本一になったマリーンズのバレンタイン監督は、シーズンオフのCSプロ野球ニュースの中で「どんなに強いチームでも、10試合のうち4試合は負けるもの」と言いました。イーグルス・野村監督の名言にも「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」というものがあります。

優秀な戦力を集め、高等な戦術を駆使し、怪我をせずに一年を戦い抜く。それだけでは、なかなか頂点に立てないものです。1つの負けを翌日に引きづるだけで、10試合の勝率は1割下がります。これを1年というスパンでみると、10回繰り返したチームと5回繰り返したチームには5ゲームの差が出来上がります。

5ゲーム差というと、なんだか決定的なチーム力の差を感じてしまいそうな差ですが、実力に大きな差がなくとも「負け上手」か「負け下手」かというだけで付いてしまうこともあるのです。逆に言えば、負け上手になるだけで、本来の実力より少し上に立つこともできます。一流の監督が「負け方」を重視するのはこのためです。

勝つということは難しいことです。特にイーグルスのように、戦力的に明らかに劣勢という状況では、勝つということは非常に難しいことです。1年の中には執念や気合だけで勝ってしまう試合というものがあるとはいえ、それを1つ2つ増やしたところで梨の礫です。勝てるチームには出来なくて、勝てないチームには出来ること。それは「負け上手」になることです。

敗戦投手になった小山。昨シーズンはクローザーとして期待されながら、早々に失格の烙印を押され、不本意な1年を送りました。対ホークス戦は特に鬼門で、防御率は5点台でした。イーグルスのリードで迎えた最終回。「今年こそ」と意を決した小山が登板。しかし、ピンチを招き非常の降板命令。代わった吉田が打たれ、イーグルスはあと一歩のところで勝利を逃しました。

この場面、抑えと心中すべきだとか、打ったバッターが偉いだとか、その手の結果論を横に弾き飛ばして見直すと、「ノムラの考え」が見え隠れするはずです。ピンチを断ち切る、あるいは裏に再逆転、これらは最良の結果に対する願望に過ぎません。この場面で「負け上手」になるには、最悪の結果を想定して、そこから逆算しなければなりません。

この場面における最悪の結果とは、逆転され試合を落とすことです。小山であろうが吉田であろうが、打たれたら、どっちみち負けるのです。ならば、どう打たれるべきかを考えるのが指揮官の仕事です。負けたとて、部隊を全滅させてはならない。これは野村の最初の師である鶴岡一人の哲学でもあります。

記録上の敗戦投手は小山になりましたが、決勝打を打たれたのは吉田です。小山にすれば、打たれたようで打たれていないことになります。また、吉田にすれば、小山の残したランナーが帰っただけで、自分は点を取られていないということになります。両投手にとって、チームが試合に負けてしまったことは事実であり、それはそれで凹む出来事だったわけですが、あのタイミングで交代したことで傷は最小限にとどめられたのです。もしも小山が続投して打たれていた場合、ホークスに対する苦手意識が甦り、昨年のように立ち直れなくなった可能性もあったのですから…。

数字の上では同じ1敗でも、この1敗は大きな意味を持つ「されど1敗」です。140試合の長丁場、小手先を誤魔化して勝ったところで「たかが1勝」です。昨日の試合を見るにつけ、「負け上手」という点において野村監督はまだまだ衰えていないことが分かりました。1つ勝って満足してしまうチームより、上手に負けて引きずらず2つ勝てるチームの方が最終的には強いのです。その哲学には賛否両論あるところでしょうが、野村克也に監督をさせるということはそういうことなのです。

これまで辛辣な内容になることの多かった試合後の野村監督の談話が、この日は負けたにも関わらずポジティブな内容でした。「内容のある敗戦」であったことを物語っています。もちろん、負けは負けです。プロは勝たなくてはいけません。ただ全てに勝つことはできないのです。許容される負けであったかどうか、野村監督にとってその基準は、傷を最小限度にとどめ尾を引かせないものかどうかという点に尽きます。イーグルスはもう数え切れないほど負けていますが、野村監督に許容される負けを喫したのは、昨日の試合が最初です。

負け続けた2005年のイーグルス。負け続けるであろう2006年のイーグルス。三木谷オーナーは知らなかったと思いますが、野村の采配は「勝ち方」より「負け方」を重視します。野村の指揮の下でイーグルスが一皮むけたチームになるには、昨年同様、あるいは昨年以上の負けが必要です。

一見、消極的に思われるかもしれませんが、2年目のイーグルスは、「勝ったか負けたか」ではなく、「どう負けたか」に注目しましょう。野村監督が率いるチームは、数字には表れにくいところでこっそりと進歩しているものです。

関西の野球が阪神一辺倒になる理由

近鉄阪急南海
久保 康生佐藤 義則吉田 康夫
正田 耕三山口 高志立石 充男
柴田 佳主也星野 伸之 
西川 慎一水谷 実雄 
面出 哲志福原 峰夫 
前川 勝彦松山 秀明 
吉本 亮風岡 尚幸 
前田 忠節加藤 安雄 
 伊藤 敦規 

これ、何のリストか分かりますか?

パリーグ・関西電鉄系球団の出身者で、2002~06年の5年間に阪神タイガースのユニフォームに袖を通した人たちのリストです。ここでは割愛しましたが、裏方さん(打撃投手・ブルペン捕手・用具係など)を含めると、もっとたくさんの人たちがいます。


私は自他ともに認める“アンチ阪神”なわけで、パリーグのヒーローたちが次々と縦ジマに征服されていく光景には、うっかり「せんぞ営業妨害した上に、人材までかっさらっていくか!?」と言ってしまいそうになります。ただ、よくよく考えてみると、阪神がかっさらったというよりは、あっさりと人材を流出させてしまう側の問題なのです。

先日、別に見たくもないのに、うっかり見せられてしまった阪神・安芸キャンプの模様。やむなく「知ってる顔はいないかな」と舐めるように画面を追っていたら、立石コーチを発見。現役時代は南海ホークスの背番号1、近鉄コーチ時代は知る人ぞ知る「ノックの名人」でした。

近鉄から阪神に移った久保、正田、立石の3コーチ。合併のドサクサに巻き込まれ、あやうく失業のところを拾ってくれたのは阪神です。慈悲深き阪神様に足を向けて寝ようものなら罰が当たるというものです。

阪急のOBに対する、オリックスの冷遇ぶりは、今さら述べるまでもありません。なにしろ、福本にも山田にも愛想を尽かされているのですから、どうしようもありません。何人かの阪急・近鉄OBを使っているようですが、この会社の前歴からして、傍目には「合併球団の人気取り目的」としか見られないというもの。今さら小手先を変えたところで「時すでに遅し」です。

ちなみに、阪神でコーチを務めてからオリックスに戻ったのは「PL学園枠」の松山コーチ、たった一人です。返り咲く数より流出する数が多いところが、「OBを大切にしない会社」とされる所以です。立派なOBがたくさんいるはずなのに、臨時コーチで元阪神の掛布を呼びつけて大喜びしている、オリックスとはそういうものです。

買う方も買う方なら、売る方も売る方だと思いますが、なにはともあれオリックスは、札束を積んで、阪急・近鉄の歴史年表を買い取りました。しかし、阪急・近鉄の歴史を大切にしているのは、歴史を振り回して出汁を取ったら捨ててしまうオリックスではなく、実は同じ関西電鉄系の阪神なのではないかという気がしてなりません。合併球団のアホどもは、やたら闇雲に阪神を敵対視しているのでありますが、お門違いもいいところ。野球の歴史をリスペクトするという点に於いて、阪神タイガースの姿勢は十二分な賞賛に値するものです。

関西の野球は、猫も杓子も阪神一色に塗りたくられています。ただ、歴史を活用してファン層を拡大させた阪神と、歴史を大切にせずその場しのぎの露出に頼っているオリックスを比べると、これから関西の野球史が阪神中心に仕立て上がっていくことはごく自然な成り行きと言わざるを得ません。

阪神に脚光が当たらないと、旧き良きパリーグの歴史が失われる。なんとも皮肉なことです。私が阪神ファンになることは死んでもありませんが、阪神タイガースには、関西電鉄系球団の歴史を紡いでくれる存在として、ますますの発展をお祈り申し上げます。

虚飾・粉飾に充ち満ちた野球村の「世界観」

管轄する国際組織すら存在せずルールさえ定かでない“ベースボール”という競技。

アメリカ大陸のローカルルールを国際基準だと盲信する“野球”という競技。

一体、何が「世界」なのか。一体、何が「国際」なのか。環太平洋のわずか数カ国しか参加しないのに、「世界一」だの「国際規格」だの「日本代表」だの、恥ずかしくないのかなぁ。「WBC(World Baseball Classic)」と銘打ったところで、何が“World”なのかちっとも解せない。

そんなにイチローを見たければ、パリーグの試合を見ておけば良かったのだ。見ようと思えば、いつでも見れたのだ。にも関わらず、たいていガラガラだったではないか。野球というコンテンツは、もはや物の値打ちも分からない連中をかき集めることしかできなくなったのか。

野球の楽しさも、野球の面白さも置き去り。何ら努力をせず完成品を模造する野球は、もはや「日の丸」を連呼して、屈折したナショナリズムに頼らないと人を引き付けることのできないものとなったのか。野球って、この程度のものだったのか。本当は、頭脳も肉体も使うものすごく面白い競技なのに。

イタリアで冬季オリンピックがあり、ドイツでサッカーワールドカップがある2006年は、「ウソのない国際大会」が目白押し。盆正月になれば百万単位の人間が海外に飛び出す時代。「とりあえずやってみればいい」的な空気に騙されるほど現代人はアホではない。

「王ジャパン」って何だろう。「ジーコジャパン」の真似だろうか。あれだけサッカーを馬鹿にしていた野球村の田舎者が「サッカーのように」と口走る有り様。恥ずかしげもなく「世界」を連呼する姿から感じられる、とめどない猥雑さの原点である。

軽々しく騙ってしまった「自称・国際大会」。定義どころか理念や観念もないままの見切り発車は、やがて野球人気の低下に拍車を掛けることになる。野球村の浦島太郎が気づくのは何年後だろうか。膨らんだツケは誰が精算するのだろうか。とある国の独裁者の言葉に「嘘も100回つけば真実になる」というものがある。野球の未来はファシズムなのだろうか。

土台を作ろうとせず、話題だけを追いかけてきた結果がこれである。野球を愛する者の一人として、心から悲しい思いがする。白けることなく野球を楽しみたい。再び「ウソのない野球」が見られる日はくるのだろうか。

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